その94 スクールカーストの外

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スクールカーストの外

スクールカーストってありませんでした?
大なり小なりあったんじゃないでしょうか。
どうやら、イケイケな陽キャがトップグループで人気者、最下層はオタクとか大人しい子たち・・・みたいに分類されているようです。
運動部に所属する活動的な人なんかは、上位陣!?のようですね。
僕は高校生の頃、病院で「異型狭心症だよ」って言われて、運動の類は一切やれませんでした。
まぁ、運動って嫌いなので、ラッキーでしたけども・・・
さらに、この頃から社交性はゼロで、「うぇーい♪」ってとりあえずなんでも楽しめるような性格じゃなかったから、とてもカースト上位になれません。
おまけに、セックス・ピストルズに激しく影響を受けて、パンクファッションなど奇抜な要素を取り入れておりましたので、スーパー浮いてました。
公立の進学校という保守の塊みたいな場所でしたから、なおさらです。
結果、カースト内に僕に該当する項目がなく、完全にはみ出しておりました・・・涙

人って分類されると安心する生き物でしょう?
特に日本人はそうなのかなぁ。
所属する場所があること、役割があることで、自分という存在を認識できて、自己重要感も感じられますよね。
それを「自分の居場所」って呼んだりするのかもしれません。
例え、それがスクールカーストという残酷なピラミッドだったとしても・・・(であれば、僕の居場所ってどこだったんだろう・・・涙)

さて、このスクールカーストの上位陣は、異性にも人気で社交的。当然、友人・知人も多い。
彼らはコミュニケーションモンスター、僕とは真逆です。
そんな彼らは学生の頃に、好きな異性と付き合うことができたり、運動部でそれなりの成果をあげたり、小さな成功体験を重ねていきます。
当然、それは自信にもつながります。
自己承認は十分に得られ、自己重要感も実感できるでしょう。

こんな風にさかのぼってみると、企業がスクールカーストの上位層を採用したがる気持ちもわかります。
スクールカースト上位者は、自己承認が十分に満たされ、自己重要感も実感している人材を採用できる可能性が高いとも考えられますから。
『マズローの欲求五段解説』じゃないけど、ある部分が満たされているって仕事においても重要なんです。
それが「承認欲求」だったりするんじゃないでしょうかね。
承認欲求が満たされていない人は、承認欲しさに自己中心的になることもあります。極端に言えば「自分を認めてくれない人/社会=嫌い、敵」という発想にもなりかねません。

また、学生の頃から、十分な自己承認を得続けてきたスクールカースト上位者には妬みひがみも少なく、他者を憐れむ!?余裕があるわけです。(まぁ、あくまで仮説ですが)
憐れむなんて言いましたが、本人は十分に満たされているから、他者のことを考える余裕があるってことです。
良いサービスを提供するというのは、自分以外のことを考えるのがまず基本になりますから、重要な資質と言えます。

そうした人材を採用するわかりやすい基準が、ルックス、つまり「顔採用」なのかもしれませんね。
そう言えば、この前、弊社の人事担当が「うちも顔採用にしましょうか♪」って言ってたんですよね。
それ聞いて、自分の会社に入社する自信が消えると共に、「可愛い子が入ってくるんじゃないか!?」って緊張してきたんですよ。
僕、カーストの外にはみ出たコミュ障でしょう?
そんなスタッフと、どうコミュニケーションとればいいのかわからないのよ。緊張するよ。

こうなったら、カーストからはみ出てる人採用・・・かな。
ややこしい人しかない気がするな・・・

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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