その59「非日常と日常の間にあるビジネス」

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先月、僕がやっている格闘技「空道(大道塾)」の昇段審査がありました。
この原稿を書いている時点では、まだ結果は分かりません。
ただ、かなり微妙・・・とだけ申し上げておきましょう(T_T)ウゥ…

振り返ってみると、やっぱり、本番に出せる力って本当に限られているな、って思います。
試合や審査での組手はいわゆるガチ。
相手は僕をぶちのめそうと本気で向かってきますから・・・(彼らも試合や審査の参加者ですからね)
そういう状況下では、普段の練習でできていることもまともにできません。
オリンピックに出場するような超一流の選手でも、本番ではその能力を100%発揮するのは難しいわけですからね。

じゃあ、どうやって普段どおりの力を発揮すれば良いんでしょうかね?

地面に幅10〜15cm程度の板が置いてあって、その長さが10mだったとしても板の上を歩くってそんなに難しくないですよね。
ところが、それが高さ30mのところに設置されていたら・・・
足がすくんで動けなくなりますよね。
普段どおりの力を発揮すれば、板の上を歩くことくらい何の問題もないはずなのに。

つまり、普段どおりじゃないと自分が感じたとき、普段どおりの力を発揮することができないということなのかもしれません。

昇段審査に話を戻しますと、昇段審査を受ける人は皆の前に立ち、基本稽古の解説など行います。
僕は人前で話すことについて、実はそんなに緊張はしません。
「場馴れ」って言葉がありますが、僕はプレゼンやセミナーなど、知らない人たちの前で話をする機会がそれなりにあったからだと思います。
そのため、僕にとって人前で話すというのは「普段どおりの範疇」という認識なのかもしれません。
ところが、ここに一定のリスクが加わったとき、非日常度が高まってきます。
前述の板の例えだと、落下して怪我をする可能性ですね。
また、仕事であればコンペ形式でプレゼンする場合には失注する可能性もあるわけです。
そして、昇段審査であれば昇段できない可能性や、組手で怪我をする可能性です。

このように、普段は存在しない「負の可能性」に気付いてしまうと、一気に非日常度が高まってくるようです。
普段どおりの力を発揮するには、「負の可能性」への慣れ、そして「非日常の日常化」がポイントになりそうですね。

ところで、こういうのに着目したビジネスってありそうですよね?

ガチスパー屋さんというのはありませんが、そういう環境を格闘ジムが提供したり、出稽古という形で他ジムの選手の力を借りるというのはあります。
これは「非日常の日常化」に有効ですよね。
また、「負の可能性」に耐えられるように、アスリートなんかがメンタルコーチのサポートを受けたりしていますよね。

一方、「負の可能性」にはとても耐えきれない・・・
「非日常の日常化」して慣れるほどは頻発しない・・・
といったケースもあるでしょう。
その場合、「いっそのこと誰かに代行してもらいませんか?」というサービスも出てくるんでしょうね。
例えば、退職代行サービスなんかはその類と言えるんじゃないでしょうか。

ビジネスとして成立しているということは、負の可能性に耐えるとか、望んでいない非日常を日常にするとか、「お金を払ってでも避けたい」という方が一定数居るということなんでしょうね。

一方では、歓迎される非日常を日常にするビジネスもありますよね。
一般的にはこっちのが多いんでしょうけど、例えばディズニーランドのようなビジネスとかね。
でも、この手の非日常は、非日常だから良いという側面もありますから、日常化すると成立しなくなりますね。

まぁ、そんなことより、僕の昇段審査の結果はどうなのかが気になるんですけどね・・・

 

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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