このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
なんと、あなたもリチャード・ギアだった!
『Shall We Dance?』って映画ありますよね?
リチャード・ギア主演のやつです。
これ、オリジナルは日本なんですね。
この記事を書くときに調べてて、一番ビックリしました。
勝手に日本版がリメイク版だと思ってましたから。
それくらい、ハリウッド・リメイク版も秀逸でしたね。
さて、この主人公(日本オリジナル版は役所広司さんが演じた)ですが、ボチボチ幸せなんです。
奥さんと子供もいて割と仲良くて、家も持ってて、仕事にも不満もないし、つまり大きな悩みとか無いんです。
ところが、なんか満ち足りていない気持ちがあるんです。
幸せだけど、繰り返しの日々の中、美しいダンス講師を見かけたのをきっかけにダンスを始めちゃうんです。
多少の下心もあったかもしれませんが、主人公はダンスに夢中になっていくんです。
日本オリジナルもリメイク版も素晴らしい映画で、僕も大好きなんですが・・・
フト、なんでこの主人公はダンスを始めたんだろう?ってギモンに思ったんです。
つまり、「突然、何の脈絡もないことを始めたがる心理」に興味がわいたんです。
定年退職後、男性は蕎麦を打ちはじめるって都市伝説のように言われますよね。
今までさして興味もなかった蕎麦を突然打ちはじめる男性たちと、ダンスを始めちゃうリチャード・ギア、役所広司が重なったんです。(僕の中ではね)
で、色々考えてて・・・
これって、「居場所」を求めた結果なんじゃない?って思ったんです。
ここでの居場所とは「自分が何らかの役割を担うことで成立している(と自分が思える)コミュニティ」です。
この定義の分かりやすい例は、「自分のおかげでこの部署は売上を作れている」とあなた自身が思えるのであれば、その部署はあなたの居場所と言える、ってことです。
極端に言えば、「自分がいないとダメ(成立しない)」という環境が、一番分かりやすく居場所を感じられるということです。
リチャード・ギアと役所広司が演じた主人公男性は、会社でも家庭でもそこそこに優秀だったんです。
彼らが居なくても仕事はそれなりに回る。
家庭でも、子供が非行に走るとか、奥さんが浮気をするとかの問題はない。
自分が居なくてもコミュニティが成立しているので、職場にも家庭にも居場所が無いと感じてしまうのです。
実は、これって、平和、幸せってことなんですけどね。
だから、リチャード・ギアはストーリーの後半、奥さんにダンスがバレたときに「今でも十分幸せなのに、これ以上を求める自分を恥じた、だからダンスをやっていることを言えなかったんだ」的なことを奥さんに言います。
家庭に居場所感を感じられず、他に居場所を求めたわけです。
では、なぜダンスが題材なのか?
それは、ダンスってパートナーが必要ですからね。
ものすごく分かりやすい役割があるわけです。
こんな風に考えると、蕎麦を打ち始めるのも、習いごとを始めるのも、居場所作りのためなんじゃないか?と思えてくるんです。
退職した男性が会社という居場所を無くし、家庭に居場所を求めるも、奥さんに大して必要とされず、それどころか鬱陶しがられる・・・みたいな(T_T)
僕は数年前に会長になり、あらゆることを社長やスタッフに委譲しまくった結果、何も無くなったんです。
その結果、会社での居場所感が極めて薄くなったんですよね・・・
そしたら、アニメ・漫画の影響で、津軽三味線に興味を持って、教室とか調べだしている自分にハッとしたんです。
居場所を探してる!って・・・涙
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。