このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
ストレスを抱えてしまう理由
嫌いなこと、苦手なことをやらないといけないってストレスですよね。
僕はご近所づきあいとか、親戚づきあいがすごい苦手なので、それらは極力避けています。
というか、逃げてます。
お盆や正月に親戚が集まるあの感じがとにかく苦手で、そのせいで正月に放送される「箱根駅伝」が嫌いになってしまいました。選手の皆さん、ファンの方々、すいません・・・
サザエさん症候群に近いものだと思います。
僕は新しい環境にワクワクするタイプなので、海外旅行(それが仕事であっても)や引っ越しって大好きなんですが・・・
最近、好きなはずのこれらにストレスを感じる自分に気付いたんです。
親戚づきあいのように、苦手とか嫌いじゃないはずなのに。
海外に行くのは、弊社の子会社(フィリピン法人)の関係なんですが、コロナ禍ということもあり、色々と面倒なんです。
事前登録しないといけないことも多いし、フィリピン国内のロックダウンの状況も日々変わるしで、入国後の状況も読めません。
更に、フィリピン渡航のタイミングで自宅の引っ越しも発生して・・・
好きなことに関連するタスクでも、一定以上にたまるとストレスに感じるものなんだと分かりました。
それが好きなタスクだとしても、重なるとさすがにしんどい。
好物を一度に食べられないのと同じです。
それと、海外旅行は好きだとしても、それに関連するタスクが全て好きとか得意ってわけじゃないんでしょうね、きっと。
例えば、海外乗り換えを考慮した旅程を組み立てて、チケットを購入するというタスクが嫌いな人もいれば、そういうのが得意だったり、好きな人もいるでしょう。
「イミグレで突っ込まれた質問されたときに英語で答える」というのは、英語ができない僕には嫌なタスクです。
つまり、親戚づきあいに関連するタスクのそのほとんどが僕が苦手、嫌いなタスクなんでしょうね。
考えてみたら、「他愛もない世間話をする」「愛想よく振る舞う」「親戚の子供とコミュニケーションをとる」など、僕が苦手で嫌いなタスクばかりでした。
そして、自分でコントロールできないタスクがあるのもストレスの原因になり得ますね。
例えば、僕の場合、引っ越しの関連したことで「賃貸の審査の結果がいつ頃に出るのか」「入居可能日はいつなのか」については、僕がどう頑張ろうと明確にはできないタスクです。
どちらかと言えば相手側のタスクですね。
ところが、この手のタスクに、紐付いたタスクもたくさんあって、それらが軒並みアンコントローラブルになってしまうのです・・・
(1)タスクが重なる
(2)苦手、嫌いなタスクがある
(3)アンコントローラブルなタスク
どうやらこうしたタスクがストレスの原因のようですね。
そして、こうした状況を避ければ、ストレスも軽減できるようです。
よく考えたら、僕、英語ができませんから、コロナ禍の特殊な状況でフィリピン(英語圏)に行くこと自体無謀で、大きなストレスです・・・
いつまで続くんでしょうか、コロナ。
いつまで続けたいんでしょうか、コロナ。
僕が英語できないのは、きっとコロナのせいです。
(不思議なことにコロナ以前からできないんですけどね・・・)
ところで、ストレスを感じているとき、それを軽減させる方法って何かあります?
この前、社内で聞いてみたのですが、結構個性が出て面白いですね。
「料理をする」「掃除をする」「筋トレをする」って方法をおすすめするスタッフもいました。
これらは僕にとっては逆にストレスを増幅させる方法なんで、驚きました。
僕は「料理をする」のは嫌いではないのですが、にんにくの皮を剥くとかの下準備タスクや、皿を洗うなどの片付けタスクが嫌いなんです。
そして、「調理をする」のは好きです。
だから、「調理をする」のが苦手だけど、「下準備」や「後片付け」は嫌いじゃないという人と僕が組むと最高なんです。
こう考えると、タスクの組み合わせって、ビジネスや組織づくりのヒントになるかもですね!(ドヤァ)
ヒントになるけど、そこから答えまでたどり着けない僕に、誰か答えを教えてください・・・
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。