その127「夢を叶える方法を思いついた」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「夢を叶える方法を思いついた」

ここ2、3年、お客様企業のタグラインを考えるお仕事が結構多いんです。
国語の偏差値30台の僕が、僕よりも遥かに国語が優秀であろうお客様から依頼されて考えるわけですから、人生どうなるかわかりませんよね。

「タグラインって何?」って話なんですが、ぶっちゃけこの定義は人によって多少幅はあるようです。
ちなみにスローガン(ブランドスローガン、コーポレートスローガン)とも呼ばれますね。
ブランディングの仕事をしておきながらこんなこと言うのもあれですが、大きな誤解がなければ、「自社にとってタグラインとは◯◯である」って各社で定義しちゃえばいいと思うんですよね・・・

ちなみに僕は・・・

・企業が大切にしていること|理念やビジョン、価値観、想い、コンセプトなど

・企業の存在意義や価値、大義名分|社会に提供している価値、貢献など

を端的に表した言葉。

・・・と、ひとまず考えています。

なので、タグラインを見て、事業内容(具体的に社会に提供しているモノ/コト)を知ると、その会社の価値や特徴がしっかりと理解できたらそれで良いのかな、と。

タグラインは、ロゴと併記されることも多いですよね。
有名なのは、小林製薬さんの「あったらいいなをカタチにする」など。
ロゴと併記するので、Webサイト、名刺、TVCMなどあらゆる場面での露出が増えて、「私たちはこんな会社です」と伝える手段としては非常に強力です。

つまり、これを戦略的に使うことで、印象を変えることができて、ビジョンに近づくことも可能なのです。

わかりやすく例えると・・・

「死ぬまでに世界中全ての国を旅したい!」って人が居るとします。
その人は自己紹介のときに必ず上記のフレーズを言うんです。
すると、その人には、「◯◯は行ったことありますか?」「◯◯に行くのなら、◯◯経由で行くとスムーズですよ」のように、色んな情報が集まると思いません?
実際にその国を訪れたことがある人たちから、あっという間に数十カ国分の情報が得られるわけです。
「その国にいる知り合いを紹介するよ」なんて話になったりね。
その人は実は、まだ3カ国くらいしか行ってなかったとしても、グイグイそっち(全ての国を訪れる)に引っ張られていきますよね。

タグラインにはこれと同じような効果があるんです。
なので、上手く活用すると良い流れを創り出すこともできるんです。

ところで、会社ではなく、自分自身にタグラインを付けるとしたら、どんなものになるのでしょうかね?
なりたい自分に関連したタグラインを付けることができたら、自己実現に一歩近づくかもしれませんし。
僕なんて、「コミュ障経営者」って名乗りはじめてから、コミュ障(人見知り含めて)が加速してますからね(涙)
タグライン、しっかり考えて付けないと取り返しがつかなくなりますよ。

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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