その136「部下への評価が一変する不思議」

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「部下への評価が一変する不思議」

部下の成長に責任を持たないといけない場合、部下への評価はやたら厳しくなる。
ところが、その責任が無くなると、部下への評価は手のひらを返したように甘くなる。

こういうこと、ありません?w

例えば・・・

上司A
上司B
部下C

・・・という3人がいたとして、上司を評価する際に、以下のような評価基準を設けたとします。

上司Aの評価基準は、部下Cの成長。
上司Bの評価基準は、上司B自身の成果。なお、アシスタントに部下Cを付けることができる。

すると・・・

上司Aは、部下Cを「この仕事に向いていない」と評しました。
上司Bは、部下Cを「無くてはならない存在!」と評しました。

・・・のように同じ部下であっても、真逆の評価になることがあるよ、ということです。

上司Aのように、部下の成長が自分の評価に関係してくると、部下Cのことも他人事ではありません。
一蓮托生ですから、部下Cにはいち早く成長してもらわないと困ります。
ところが、その成長が芳しくなければ、「部下Cの素地が悪い(私(=上司A)は悪くない)」と評しちゃうわけです。
最近、「配属ガチャ」なんて言葉があるそうですが、「部下ガチャ/上司ガチャ」なんて言葉もありますね。
なので、上司Aからすると「部下ガチャでハズレをひいた…」となるのかもしれません。

ところが、上司Bはのように、部下の成長に責任を負わなくても良い場合、不思議なことに評価は一変します。
上司自身が実務で成果を出すことが自分の評価になり、その手伝いをしてくれるのが部下Cという図式になります。
つまり、アシスタントとしてサポートしてくれる部下Cは、上司Bにとってはすごく役に立つ存在となるわけです。

部下Cの能力は変わらないし、部下Cの行動が変わったわけでもありません。
もっと言えば、上司Aと上司Bのどちらが優秀とかではなく、それぞれを評価する基準が違うだけなんです。
不思議ですよねぇ。

前述の例では、それぞれの上司による部下Cの評価基準は以下のようになるでしょう。

上司Aは、「(上司Aの上長から見て)部下Cが成長しているか」を部下Cの評価基準とする。
上司Bは、「自分の実務遂行に貢献してくれているか」を部下Cの評価基準とする。

・・・なるほど、これだけ評価基準が違えば、結果も違って然りですね。

ということは・・・「何を評価基準にするか?」は、マネジメントする上でものすごく重要なのかもしれませんね。
これを戦略的に使いこなすことができれば、すごい成果につながりそうです。

・・・と、まぁ、ここまでは僕でも分かるんですよ。
ところが、どうやって使いこなせば良いのか?が分からないので、なんだかイマイチなんですよねぇ・・・
教えて、賢い人。僕からの評価、うなぎのぼりですよ!・・・評価基準活用の駄目な例ですね(涙)

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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