その151「実は皆、『ためこみ症』だった!?」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「実は皆、『ためこみ症』だった!?」

こんなところで書くべきか、わかりませんが・・・
僕の実家、ゴミ屋敷のような状態なんですよねぇ(汗)
「捨てたほうが良い」という話をすると、普段は温厚な父が激昂するんです。
調べると、「溜め込み症」という精神疾患があるようですね。
ストレスが原因と言われているようですが、なるほど・・・父の人生、人(家族、自分の両親や兄弟)のために尽くしてきた人生で、抱えなくても良いストレスも多かったのかしれません・・・
僕も父が望んだ安定した職(公務員)ではなく、起業してしまったわけで。

さて、そんな捨てられない人と話をしていると

・いつか使うかもしれない
・これもお金だ(金銭的価値がある)

というキーワードが出てくるんですよねぇ。

・いつか使うかもしれない
これは僕もわかります。
でも、「いつか使うかもしれない」ってやつで、実際に使ったことなんてないんですよね。
ただ、「なんだか、もったいない」という心理もあって、未練がましく所有しちゃいますね。

・これもお金だ(金銭的価値がある)
買ったとき、いくらかお金を払っているから、捨てるときに「お金」を捨てる感覚になるのでしょうか。
購入時の金額が頭にあるのかもしれないけど、現在の資産価値としてはゼロだったりするのに・・・

冷静に考えれば、実家にある立派な雛人形や五月人形、巨大な和ダンス、ピアノなど、四半世紀以上使っていないので、「使うかもしれない」は永遠に来ないし、資産価値も残念ながらゼロに等しいと思うんですよ。
まぁ、その冷静な判断ができないから、精神疾患「ためこみ症」となるのかもしれませんが・・・

ただ、人と物の間には「思い出」があり、「思い入れ」が生まれますよね。
例えば、雛人形や五月人形は父にとって、子供(この場合、僕)との思い出があり、子供(僕)には無い思い入れもあるのでしょう。
巨大な和ダンスは嫁(僕の母)の嫁入り道具です。もしかすると、父はこれが運ばれてきたことを憶えているのかもしれません。どうやって家に入れたのかわからないくらいにデカイんですよねw
だから、これらの物と父の関係は、僕にはわからない部分でかなり強いものがあると言えそうです。
一方、僕にとって、それらはあくまで物であり、それなりの思い出はあるものの、物そのものに強い思い入れはありません。
人によっては、物を捨てるということは、その物に関連した「思い出」を捨てるのと同義なのかもしれませんね。

それが目に見えて触れることのできる物ではなく、データであっても同様に「思い出」や「思い入れ」って、介在するんでしょうか。
例えば、写真データなら、そこに思い出はありそうですし、捨てづらいのもわかります。
スマホで撮影した写真をプリントアウトしたことがある人は50%弱ってデータがありましたから、物として所有する必要はなくて、データで事足りるんでしょうね。
では、プログラムはどうなんでしょうか?
わからない人にとってはアルファベットや数字や記号の羅列ですが、自分で作ったプログラムなら思い入れも生まれそうで、捨てづらいというのはあるかもしれません。
ゲームもプログラムなわけですが、そのセーブデータには費やした時間の分だけ「思い入れ」が生まれそうで、確かに削除するのに少し躊躇しますよね。サンクコストみたいなのがあるのかもしれません。
そう考えると、データでもゴミ屋敷状態になっている人って多いのかもしれませんね。
かく言う僕も、クラウドのデータ容量があっという間にいっぱいになってしまいますから・・・
僕みたいな隠れ「ためこみ症」の方、たくさんいるかも!?

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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