その166「あなたの周りに、この人には敵わないって人、いませんか?」

このコンテンツについて

なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「あなたの周りに、この人には敵わないって人、いませんか?」

この人には敵わない。

そんな風に思うとき、ありませんか?
僕なんかしょっちゅうですよ。
その度に凹んで、なぜかその人の不幸を少しだけ願っちゃう、という人間の嫌な部分がどストレートに出ちゃうタイプなんです。
自分で書いてて、「こんな人は絶対に嫌だ」って思えてきますね(涙)

ところで、「この人には敵わない。」って、何をもってそう思うのでしょうかね?

ちょっと趣味の格闘技の話をさせていただきます。
日沖発さんという格闘家がいます。(昔から格闘技に興味がある人なら知っている名前だと思いますが)
今は半ば引退している状況ですが、現役バリバリの頃、「世界で一番強いのは誰だ?」という話に必ず登場していた日本人でした。
昔、キックボクシングのスパーリング(すんごい軽め)をしたことがありますが、日沖先生はコーヒーを飲むくらいの力でやるのですが、僕はボッコボコのギッタンギッタンにされました・・・(涙)
そして、先日、柔術のスパーをやったのですが、これが、10秒に一回極められる結果になって、死ぬかと思いました。
こういうときに、思ったんですよね・・・「この人には敵わない。」って。
何言ってるんだ、当たり前だろ!?って話なんですが、僕が敵わないって思った部分は肉体の強さとかスキルそのものだけじゃなくて、むしろそれらの裏側に見えた「積み重ね」でした。
膨大な積み重ね、その圧倒的な厚みを感じて、「あぁ、これは全く追いつけないわ(絶望)」と。
例えば、僕の積み重ねが習字なんかに使うペラペラ半紙数枚だとすると、一方でその日沖先生から感じられた積み重ねは六法全書を遥かに超える厚み、密度でした(汗)

きっと、「この人には敵わない。」って思うのって、そういうことなのかもしれませんね。
例えば、営業成績を見て、「この人には敵わない。」と思うのではなくて、実際にはその人がやり続けている行動を見てそう思うのではないでしょうか?
そんな行動を続けることはできない、できたとしてもその人のレベルに到達するまでの年月を想像すると、とてもじゃないけど無理・・・みたいな。
結局、「積み重ね」が一番強いですよ。

「一事が万事」って言いますが、「一事」の積み重ねが「万事」になるわけですから。
そう考えると、「一事」という小さなことの積み重ねを感じられたとき、「この人には敵わない。」って思えるんでしょうね。

僕は要領がいい方なので、付け焼き刃である程度まではいけてしまうんです。
ところが、あるレベルを超えたときに付け焼き刃では通用しない壁が出てきます。つまり、誤魔化せなくなってくるわけです。
これが、「積み重ね」でしか超えられない壁ですね。
考えてみたら、アスリートの世界でも成果を出すのは、才能に恵まれた天才であっても、いわゆる凡人であって、膨大な「積み重ね」を持っていることは共通していますよね。
その上で「運」が必要だったりするわけですから、超一流の世界は本当にシビアですね。

ところで、僕、柔術は白帯(いわゆるビギナー)で、さらに2ヶ月に1回くらいしか行けないので、行く度に覚えたことを全部忘れている状態でございます・・・加齢もあって(涙)
そんなド素人が、日沖発さんのような(格闘界での)有名人、レジェンドと触れ合えるのが格闘技の良いところですね。
怖いし、痛いけど・・・
会いに行けるアイドルって格闘家のことですよ。

・・・で、何の話してましたっけ?

著者の他の記事を見る

著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

感想・著者への質問はこちらから