その176「いつの間にか意味なくなってそうなことを続けるのが人間」

このコンテンツについて

なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「いつの間にか意味なくなってそうなことを続けるのが人間」

相手の目を見て話すことができないようなので、あの求職者は微妙かなぁ。

採用時、面接なんかすると、担当した人間からこんな評価が聞こえてくることがありますね。
僕なんて、社員さんと話すときに目を見て話せないので、社員さんがどんな顔をしていたか忘れちゃいますからね。
先日、勇気を出してアルバイトさんの顔をチラッと見てみたら、「あぁ、こんな顔してたんだ!」って軽めの感動があったくらいですからw
まぁ、そのアルバイトさんの最終面接をしたのは僕なんですけどね・・・
面接官の僕が、相手(求職者)の目を見て話すことができていないのに、冒頭のような評価はとてもじゃないけどできません。

ところで、相手の目を見て話す能力がそんなに大事なんでしょうか?

あるデータによれば・・・
「相手の目を見て話すことが苦手」と応えた人は約半数もいて、さらに「話をする際に目を見られることが苦手」って人も約半数なんですよ!
じゃあ、そんな能力って要ります?w
なのに、「目を見て話すことが苦手な人は、相手の◯◯(眉毛や鼻)を見ろ」みたいなアドバイスがあったりしてね。
当然、「じっと見すぎてもだめ」ってのもあるでしょう?w
そもそも今の時代ビデオチャットも多く、ディスプレイ上の相手の目を見て話すなんてことはないですからね。

採用と言えば、「手書きの履歴書」にこだわる企業もありますよね。
誤字無く丁寧に、綺麗な文字で仕上げるというスキルを見ているのでしょうか?
代筆サービスを提供する会社なら、重要な指標になるのかもしれませんが(汗)
どっちかと言えば、感情面もあって、「こんな面倒くさいこと(手書き)をやってでも、この会社に入りたい」という踏み絵みたいなものでしょうかね?
忠誠心みたいなのを試したいのかもしれませんが、採用難の時代にそんなことしたら、エントリーが減りませんかね(汗)
履歴書を手書きで書けることは社会人としての常識でしょうか?
スマホやパソコンで文字を入力する時代の社会人の常識と、履歴書が登場したと言われる明治の頃のそれとは違いますよね・・・

もしかすると、「相手の目を見て話す」「手書きの履歴書」って昔から言われているだけで、機械的に評価指標として!?使っているだけで、案外そこから何を判断しているのか既にわかっていない&重要じゃないのかもしれませんよね。
度が過ぎてコミュニケーションに支障をきたすレベルでもない限り、今の時代そんなに重要じゃないですよね、きっと。

手書きの履歴書を受領している理由について、「筆跡から人柄が分かる」との回答が6割を超えていたのですが・・・
筆跡から・・・人柄を!?
人事担当者は随分特殊な能力が必要なようですね(汗)
字が下手過ぎて、解読不能なオリジナルの象形文字みたいな字を書く僕の人柄はどんなものでしょうか?

 

著者の他の記事を見る

著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

感想・著者への質問はこちらから