その223「憧れにも直ぐに順応してしまう人間という生き物」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「憧れにも直ぐに順応してしまう人間という生き物」

高層階に住んでみたいと思ったこと、一度はありませんか?
僕は、田舎出身者あるあるの「高層階への憧れ」というものがありまして、10年以上前には高層マンションの二十数階に部屋を借りてみたことがあります。
窓の向こうに見える景色に、「わぁ!」となりましたよ。
まぁ、何が見えるわけでもないんですけどね・・・
ただ、そんな眺望についても、帰って寝るだけでしたから、常にカーテンは閉めっぱなしで外なんて見ません。夜景を見ながら一杯・・・なんて、しません。
朝はバタバタしていて、ゆっくり見ている余裕もありませんでした。
高層階の恩恵である、素晴らしい眺望もそれが当たり前の生活になると、何の特別感も無くなってしまうのです。
それどころか、「エレベーターの待ち時間が長い」とか文句を言い始めますからね。
これは、かつての憧れが現実になる、つまり順応してしまったということでしょうか。

私たち人間は、環境に対応した変化をとげることで、こうして発展してきたわけなので、実は非常に高い順応性を持っていますよね。
素晴らしい環境(非日常)を得たとしても、それにすら順応して日常にしてしまうのですから。
便利に順応して、それが当たり前になれば、今度は不便に魅力を感じ始めるという生き物ですよね。
振り子のように繰り返すのかもしれません。

例えば、何かに順応したら、今度は逆行するビジネスを始めるのはどうなのでしょうか!?

都会に順応したら、田舎が恋しくなる。
甘いものに順応したら、辛いものなど刺激物が欲しくなる。
健康な生活に順応したら、不健康な生活に興味がわく。
おしゃれでエッジがたっているのに順応したら、ちょいダサいものがよく見えてくる。
高層マンションに順応したら、平屋の戸建に住みたくなる。

・・・こんな風に考えると、次のビジネスのヒントがあるのでしょうか?
例えば、タバコ、喫煙についてですが、この20年、30年を振り返ると、男性喫煙者は半減しています。
現在は下げ止まっているようですが、タバコを吸わないこと、禁煙の環境に順応した後、喫煙が再度注目されるのでしょうか?
実際、現在はシーシャ専門店の店舗数が激増しているのですが、これも順応したあとの振り子なのでしょうか?
タバコではなく、シーシャという“ずらし”がちょうど良いのかもしれませんね。
なので、都会に順応して、田舎が恋しくなったとしても、そのままの昔の田舎が良いというわけではなく、そう感じられる環境を提供するのがポイントなのかもしれません。

ちなみに高層階に憧れた僕は、高所恐怖症なんですよね・・・
フィリピンでは41階に住み、23階のオフィスで働いていましたけども。

 

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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