その233「幸せに成功する方法に気づいてしまったかもしれないけど、ちょっと手遅れの可能性もある!?」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「幸せに成功する方法に気づいてしまったかもしれないけど、ちょっと手遅れの可能性もある!?」

 

この記事が公開される頃、僕はオーストラリアにいる予定です。

実は僕、オーストラリアに行くのが初めてで、良く分かっていない状況なのですが、それにも関わらずレンタカーを借りて、ブリスベンからサンシャインコーストまで車で行こうと考えています。
ちなみに一人です・・・
初めてのことの連続過ぎて、なんでこんなことやろうとしちゃっているのか!?と、怖くなってきました。

でも、例え初めてのことであっても、自分が興味関心を持ったことになると、いつの間にか行動してしまっているんですよね。
趣味でやっている格闘技の支部がサンシャインコーストにあると知って、「出稽古したい」ってSNSからDMを送って。
そもそもサンシャインコーストのそのジムにどうやって行くんだっけ!?ってなって、レンタカーを予約したはいいけど、車はどこで借りて、どうやって返すの?って・・・
オーストラリアで運転ってどうするの?って・・・
いや、そもそも英語しゃべれないじゃん!・・・って(汗)
もうね、すんごい怖くなってきています。

ただ、思い返してみると、そういうこと多いんですよね、自分の人生で。
思い立ったら居ても立っても居られない、みたいな。
これが良いか悪いかはさておき、自分自身の癖、特徴みたいなものなんでしょうね。
僕の場合、興味関心の有無の差が異常に激しいんです。
不思議なことに、この癖に従って決断し動いたことについて、今のところマイナスが思い出せないんですよね。結果、良かったことばかりで。
例えばですが・・・

ファッションデザインに興味を持って、ミシンを買いに走る。
→大学中退して、アパレルへ。PCを使ってのグラフィックデザインやWebデザインを独学で学ぶ。

広告デザインに興味を持って転職して、没頭。
→DTPデザインについて独学で学ぶ。

自己成長に興味を持って、言い訳できない環境を創ろうと、起業。
→日本法人を設立。

海外で暮らす&働くことに興味を持って、フィリピンに移住。
→フィリピン法人設立。

・・・のような感じです。
細かいことも数え切れないほどありますが、大体全てがつながっているんですよね。
僕の特徴からすると、興味のないことは無理してもできませんし、仮にやっていたとしてもうまくはいかなかったでしょうね。
30代の頃、青年会議所とか入会したこともありましたが、興味・関心度合いはそんなに高くありませんでしたので、面白さを見いだせずに直ぐに退会しちゃいました。(ちなみに、青年会議所が悪いわけじゃないですよ)

自分の癖、特徴を理解して、それに素直に従い続けていったら、どんな人生になっていたのでしょうかね。
もし、癖や特徴は、その人が幸せな人生をおくるために皆に等しく備わっている能力だとしたら?

そういうのって、案外、あり得るんじゃないか!?・・・と最近思い始めました。
ただ、それが真理だったとして、僕もアラフィフなんですよねぇ。若干の手遅れ感は感じますね(汗)
 

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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