このコラムについて
「担当者は売り上げや組織の変革より、社内での自分の評価を最も気にしている」「夜の世界では、配慮と遠慮の絶妙なバランスが必要」「本音でぶつかる義理と人情の営業スタイルだけでは絶対に通用しない」
設立5年にして大手企業向け研修を多数手がけるたかまり株式会社。中小企業出身者をはじめフリーランスのネットワークで構成される同社は、いかにして大手のフトコロに飛び込み、ココロをつかんでいったのか。代表の高松秀樹が、大手企業とつきあう作法を具体的なエピソードを通して伝授します。
本日のお作法/疲弊する努力、報われる努力
ゴールデンウィークも終盤ですが、4月実施の「新入社員研修」のシーンを振り返ったりなどしているタカマツです。
どこかの誰かが毎年名付ける「今年の新人タイプ」は、「可能性は∞(無限大)AIチャットボットタイプ」とのことですが、
日常では「マスク着用」が義務付けられ、授業や就活は「オンラインが当たり前」。そんな学生生活を過ごし、様々なアプリやツールを使いこなしコミュニケーションを取り合う「デジタルネイティブ世代」。
そんな彼らに
「学生と社会人の違いは?」との問いを投げかける大手各社のオトナたちに対して、
・責任の重さ
・授業料を払うのではなく、報酬をいただく
・自由がなくなり、ストレスに向き合う
・気の合う仲間と付き合えば良かったが、好き嫌いで上司は選べない、、
・メモはツールを活用していたので、ノートに筆記することに違和感を抱く、、
などと返していましたが、そのどれもが現時点での彼らの「偽らざる感情」。
その正直な感情をひっくるめてオトナたちが理解し、対話しているのか?というと、そんなオトナもいれば、「先ずは言われたことをできるようになってから意見を言え」と「一方通行の感情」をお伝えするオトナもいます。
個人的には、「学校と仕事に『違い』」があるとすれば、それは、単に「異なるルールが『存在』」している、ということなのかと。
サッカーと野球に、「種目の違いによるルールの違い」が存在するように、様々な仕事、組織、会社によって異なるルールが存在します。
ですから、自らが取り組む仕事という「種目」が、「具体的にどんな種目なのか?」を理解すれば、「しなくてもよい努力」に悩まされることも少なくなるのでは。
サッカーのフィールドで、懸命に野球に勤しむことは、「仕事というフィールド」で、「勉強をすること」に等しく、、
「仕事が求められている場」で、「一生懸命に作業をする」、というのは、どんなに必死に全力をつくそうが、「疲弊するだけの努力」をすること、になるではないでしょうか?
各職場のオトナたちが「仕事とはどういう種目なのか」を、しっかり「言語化」することで、その種目における、「報われる努力の方向性」が見えてくるのかもしれませんね。