その164「想定外がくれるギフト」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「想定外がくれるギフト」

先日、イタリアへ視察に行ってきました。
ドイツを経由する便で行きましたが、帰りに少し時間があったので「空港から出て、適当な観光スポットで、ビールでも飲もう」ということになりました。
同行した方々と帰りの便が違うことがあって、その観光スポットに現地集合することしました。
ところが、どういうわけか、僕はUBERの目的地を誤って設定してしまい、その観光スポットとは全く逆方向へ突っ走ってしまったんです・・・
そして、ドイツの住宅地のど真ん中に到着したのです!
ドイツ人からしても「ここはどこ?」って場所でもありますから、ドライバーも「なんでこいつはここに来たんだ!?」って思ったことでしょうw
ドイツの住宅地なんてまじまじと見る機会はなかったので大変興味深い景色でした。
物は考えようですね。

そこから車で更に10分程度のところにマインツ大聖堂という、観光スポットらしき場所があったので、目的地を追加して行ってみることにしました。(この時点で皆と待ち合わせしている観光スポットへ行くことは諦めましたw)
結果、素晴らしい大聖堂を訪問することができました。
丁度、数日前にイタリアでミラノ大聖堂を見ていたので、その比較ができましたし、とにかくラッキーでした♪
時間がなくてグーテンベルク博物館には行けませんでしたが。

その大聖堂からの帰りは、せっかくなので電車で空港まで向かおうと経路を調べると、どうやらマインツ駅から空港行きの特急!?があることがわかりました。
こうなるとそのドイツの特急みたいなものが気になってきます。
僕は英語もまともに喋れないのですが、謎の行動力を発揮してチケットを購入。(もちろんすんなり買えたわけではありませんが…)

ようやくチケットを購入できたわけですが、「急げよ、あと2分しかないぞ」とチケットカウンターのスタッフがぶっきらぼうに言い放ちます。
「おいおい、そんなチケット売るなよ!いじめかよ!」と突っ込みながら、生まれて初めて降り立ったマインツ駅をダッシュ。乗り場もわかりませんから、すんごい状況でしたね。
奇跡的に電車に乗れたのですが、その車両がなんと食堂車♪
コーヒーを頼んで、席に座り、車窓から見えるドイツの風景を楽しむことができました。
まるで『世界の車窓から』のようでした。
大聖堂と言い、世界の車窓からと言い、俺、完全に持っている・・・そんな状態でした。

UBERの目的地設定ミスは、明らかな失敗ですが、「楽しもう」と切り替えることで、もともと予定していた以上に貴重な経験ができました。
先輩経営者が「旅(Travel)の語源は苦労(Trouble)」とおっしゃっていて、それが思い出されましたね。

こうした想定外って、大きなストレスを強いるものです。
でも、もしかすると、考え方、捉え方によっては、大きな収穫が得られるものかもしれませんね。
感動はいつも想定外から得られますしね。
想定外のことなんて日常たくさんあるので、もしかするとその一つ一つに何らかの収穫が隠れているのかもしれません。
ということは・・・想定外のことが起こりそうな選択肢を意識的に選ぶって、大事なのかも!?

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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