その84 優秀な上司と、優秀な部下

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優秀な上司と、優秀な部下

ある日、twitterで「上司とはかくあるべき」みたいなツイートを見たんです。
僕はその求めるレベルの高さに震えました。
教育するときには「魚を与えるのではなく、釣り方を教える」みたいなのを心がけよ、ってあるじゃないですか?
そのツイートによれば、「できる上司というのは、釣り方を教えずに、釣り方を自ら編みだすヒントをさり気なく伝える人」だそうなんです。

魚をあげる

釣り方を教える(←従来型の最高峰)

釣り方を自ら編みだすヒントを与える

このままいくと、様々な漁法を編みだしたとしても満足できず、養殖のレベルまで求められるのかもしれません(汗)
もはや、正解は魚にないんじゃないか!?って震えましたよ。

この教育を機能させようとすると、上司はもちろんですけど、部下のレベルも相当高くない!?って思うんですよね。
そう考えると、もしかすると・・・

できる上司でいさせてくれるのは、できる部下なんじゃないか!?

そもそも部下がいなければ、上司もクソもないですからね。
もし、優秀な部下がいて、彼らが勝手に成長したとしても、「あいつらは私が育てたんだよ」とドヤってしまえばいいですからね。(←嫌われる上司・先輩)
逆に、どんな優秀な上司だとしても、びっくりするくらい無能な部下だったら、釣り竿を持たせようが、魚をあげようが変わらないと思うんですよね。

つまり・・・

できる上司になりたければ、できる部下を探せ!

ってことなのかもしれませんよ。
でも、できる部下を探して、チームを作ることができる人って、できる上司の資格を持っている気がしますけど。

上司と言えば・・・

朝の通勤中の話です。
50代くらいのスーツ姿の男性が、駅のホームでサンドイッチをほうばる姿を見かけたんです。
「朝食かな?」って思ったんですが・・・
足元にビール缶(500ml)が置いてあったんです!
その瞬間、「こんな上司が会社にいたら嫌だなぁ・・・」って思っちゃったんです。
「朝からビール飲んで出社するの!?しかも朝の駅のホームで飲んで!?」って。
もしかしたら、ようやく仕事を終えて帰路についたところなのかもしれませんが・・・だとしたら、勘違いしてすいません。お疲れ様でございます。
実際は、めちゃくちゃ仕事ができる方かもしれませんし、部下に慕われているかもしれませんけどね。
つまり、よく考えたら、部下だって、上司は選びたいですよね。
日本の会社組織では、部下が上司を選ぶって難しいのかもしれませんが。

やっぱり、できる上司になるための近道は、「勝手に育ってくれるような優秀な人から、認められる人物になる」ということが近道だと思うのです。
それって、部下の側からするとどんな人なんでしょうかね?
「釣り方を自ら編みだすヒントを与える」ことができる人物が、そうなんでしょうか?
なんか、部下側の目線から考えると、必ずしもそうじゃない気がしてきますよね。

「上司たるものかくあるべき」は上司の上司(経営者とか)や、上司が他の上司に対して思うことなのかもしれません。
当然、部下側からの「上司たるものかくあるべき」ってのもあって、随分とギャップはありそうですよね。

僕が求める上司は、「さっさと魚をくれる人」なんですけどね。
昔からすぐに答え見ちゃうタイプだったので。
だって、答えが分かったら、「あぁ、そういうことか!」って道が拓けるじゃない。
ちょっとしたきっかけで答えまでたどり着けるのに、なんかの罰みたいに焦らしてくるのは上司側の自己満足だって思うんですよね。
まぁ、僕には優秀な部下の素養がないので、そんな風に考えるのかもしれませんし、こんなピンク頭の部下なんて要らないでしょうね・・・

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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