経営者のための映画講座 第26作『東京物語』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『東京物語』に見る違和感の許容。

小津安二郎の代表作にして、映画表現のひとつの極みと評される『東京物語』。1953年に公開されたこの作品は、ごくありふれた家族のごくありふれた日常を描くだけだ。それなのに、こんなにも豊かな人の営みの機微をドラマチックにあぶり出すことができるのだということを教えてくれる。

広島県の尾道に暮らす老いた夫婦が東京に出かけ、そこでそれぞれに家庭を持っている子どもたちに会うというストーリーだ。1950年代の東京は、銀座などの都市部だけはきれいに復興していたが、それ以外の場所はまだまだ復興半ばだった。特に子どもたちが家庭を築き足場を固め始めたばかりの郊外は、それこそ尾道よりも貧しい風景が広がっている。子どもたちが東京で成功していると思っていた老夫婦は落胆するが、それでも子どもたちが幸せならばと笑顔を絶やさない。しかし、子どもたちの側は日々の暮らしに追われ、親孝行どころではない。果てはせっかく東京にやってきた両親を熱海旅行へ追い立てるように送り出したりもする。

熱海の旅館ではのんびりした風情などどこにもない。若い団体客が夜通し飲み食いし、大声で歌い麻雀をする。ここに来て老夫婦は、東京には自分たちの居場所はないのだと確信する。同時に、老いた妻は身体に変調を来し、尾道に帰ると同時に病床に臥せってしまうのだ。

電報を受け取った子どもたちは、慌てて尾道に帰郷する。長男(山村聡)と長女(杉村春子)、戦死した次男の嫁である紀子(原節子)、そして、もともと同居していた末娘(香川京子)に見とられながら母は逝ってしまう。少し遅れて三男(大坂志朗)がやってきて「親孝行したいときには親はなし。さりとて墓に布団もかけられずか…」と寂しそうに呟くのだが、ここで観客は違和感を抱く。この三男だけが大阪弁なのだ。どちらかというとコテコテの大阪弁で彼は母への思慕を語る。しかし、他の兄弟と同じく三男も尾道の生まれのはずだ。ただ、設定として彼は現在、大阪の国鉄で働いているということになっているので、地方出身者が東京で標準語で話すのと同じように、尾道の言葉を封印して大阪弁で暮らしているのかもしれない。しかし、尾道の言葉と標準語が行き交う場面に唐突に現れる大阪弁はやはり違和感がある。演じている大坂志朗は元々大阪出身の役者なので、大阪弁は見事に自然だ。だからこそ、観客は「大阪の職場に慣れるために、懸命に大阪弁を習得したのだろうか」とか、「もしかしたら、関西出身の奥さんをもらっているのだろうか」とか、「好奇心旺盛で住んでいる場所の言葉を面白半分に習得してしまったのだろうか」などと考えてしまうのである。深く考えるのではなく小さく浅く考えて、まあいいか、と流してしまう程度に。

実はこの映画にはそんな小さな違和感がたくさんある。そのすべてを小津監督は明確にしないまま観客に想像させ答えを出さない。そうすることで観客はこの映画を自分自身の物語に転換することができるのだ。それは、かつての企業が「社員は家族だ」という幻影を信じ、実際にそれを目標に経営されていたことにもつながるのかもしれない。

尾道の両親から始まる大きな家族が東京にまで広がっている。しかし、東京に分散した小さな新米家族たちは自分たちのことで精一杯だ。家族よりも大きな組織である社会に置いていかれないように必死なのだ。もはや、尾道で両親から教えられた知恵と工夫だけでは、これからの世の中は乗り切れないと漠然と感じている。そんな中、夫を戦争で亡くした未亡人である紀子だけが、守るべきものの少ない融通の利く暮らしをしている。血のつながっていない嫁という立場だからこそ、義理の両親にも優しくできるし、義理の母の死に直面し、実の子どもたちよりも長く尾道に留まることができたのかもしれない。さらに、そんなすべてが「私、ずるいんです」という彼女の言葉に表れているような気もする。

両親に対して不義理とも言える振る舞いをしながら実の子どもたちが東京に帰ってしまったのは、しがみつこうと思える社会があったからだ。少し無理をすれば幸せになれるという想いがあったからこそ、彼らは自分たちの振る舞いを正当化できた。しかし、今はもうそこまでしなければならない社会などないとみんなが気づき始めている。経済的にも精神的にも自分を守るのは自分だけだ。自分に出来る範囲のことだけですべてを収めるべきだ、と。

小津安二郎の『東京物語』が公開されてからもう七十年以上が過ぎて、この映画のもつ意味がより明確になってきたような気がする。

東京はまるでチェーンストア理論を地で行く実験場のようだ。そんな中にも、大阪で大阪弁を懸命に話し生きている三男や、自分はずるい人間だと思いながらも健気に密やかに生きている紀子のような人たちが今もいる。そして、ようやく世の中はそんな人たちに目を向け始めたのかもしれない。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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