このコラムについて
経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。
『大人は判ってくれない』に見る、大人という仕事。
フランソワ・トリュフォーの名を一躍世界に知らしめた彼の商業デビュー作である。と、同時にフランス・ヌーベルヴァーグの登場を決定付けた作品とも言える。成熟期を迎えていた映画の世界に風穴を開けたのは、トリュフォー、ゴダールらの映画好きなヤンチャな若者たちだった。スタジオから飛び出し、路上で、手持ちカメラで、無名の役者で、彼らは自由に映画を撮った。その最初の成功作が『大人は判ってくれない』だった。
もちろん公開当時、賛否両論の嵐が吹き荒れた。「手持ちでガタガタしていて見にくい」「こんな夢のないラストなんて見たくない」と言った真っ当な意見を抑え付けたのは、当時の若者たちの鬱屈した気持ちをこの映画が代弁してくれたからだ。しかし、この作品が思いのほか広く受け入れられ、カンヌ映画祭などでも高く評価されたのに理由がある。親の愛に恵まれない子どもの実態を、トリュフォーが実体験も交えて丁寧に描いたからだ。それが、撮影方法の斬新さを伴って、見るものの心を撃ち抜いたのだと言える。いままでに見たことがないタイプの映画だから、と無視できない強さがあったのだ。この映画が撮影技法だけが新しいものであったなら、もしかしたらヌーベルヴァーグはあれほど注目されなかったかもしれない。
主人公は12歳のアントワーヌ・ドワネル。気のいい少年なのだが、勉強も出来ず、いたずらが好きで先生にも叱られてばかりの毎日だ。両親は喧嘩が絶えず、居場所のない家庭で鬱々としている。ある日、登校中に友だちに会い学校をサボるのだが、遊びに出た町中で母親が知らない男と抱き合っている場面を目撃してしまう。翌日、先生に欠席の理由を問われたアントワーヌは「母は死にました」と答えるのだが、この嘘がばれてしまう。そこからは転がり落ちるような日々だ。最後には盗みで警察につかまり鑑別所へ送られてしまう。
どの場面でも父も母もアントワーヌに冷たい。その様子を見ていると、アントワーヌが最初に付いた「母は死にました」という嘘が、実は真実だったのだと思えてくる。そう考えると、アントワーヌがいわゆる非行少年だとみなされるようになってしまったのは、大人が大人の役割をきちんと果たしていなかったことが理由なのかもしれない。優しい言葉がなくても、ちゃんと見ていてくれるだけで彼の人生は大きく変わっていたはずだ。さて、数字以外に自分の会社に社員たちをしっかりと見ている経営者はどれくらいいるのだろう。
著者について
植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。