経営者のための映画講座 第22作目『イージー・ライダー』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『イージー・ライダー』で知る保守派の正体。

いつの時代も若い世代の台頭は、新しい価値観の到来と、古い価値観の崩壊を連れてくる。映画作品でそれがもっとも顕著だったのは1960年代から1970年代の前半。フランスではヌーヴェル・ヴァーグが、アメリカではニュー・シネマが、そして、少し遅れて日本では松竹ヌーヴェルヴァーグなどと称された映画群が誕生した。そして、アメリカン・ニュー・シネマの代表作と言えば『イージー・ライダー』ということになるだろう。

無名の役者が自分たちで映画を作る。しかも、舞台の設定もなくただ荒野をバイクで突き進んでいく。その間、ずっと流れているロックンロールも当時の若者の心を鷲掴みにするには充分だった。

個人的な思い出だが、子供の頃、向かいの家に住んでいた大学生くらいの息子がこの映画の大ファンだった。通りから部屋を覗き込むと壁に『イージー・ライダー』のポスターが貼ってあるのが見えた。それは何かと聞くと、当時大学生くらいの兄ちゃんが「かっこええ映画のポスターや。ちょっとエッチなシーンもあるから、高校生くらいになったら見たらええわ」と説明してくれた。そして、ポスターに書いてある英語の文章の意味を聞くと「これはな、『アメリカを探しても見つからんかった』って書いてあるんや」と教えてくれたのだった。

A man went looking foAmerica.
And couldn’t find it anywhere…

当時は、その英文もスラスラ読めなかった中学生の私は、なんじゃそりゃ、と思ったのだが、高校生になりテレビ放送されている『イージー・ライダー』を見てみると、まさにその通りの映画だった。彼らが探していたのはアメリカというよりも自分自身の拠り所のように見えた。自分探しをしても、決して自分はみつからない。もしかしたら、ヌーヴェルヴァーグもアメリカン・ニュー・シネマも、結局は自分探しの果てに自分を見つけられないという映画群なのかもしれないと思う。

そして、保守的な田舎町へと進んで行けば行くほど、長髪のバイク乗りたちは地元の男たちに嫌悪される。若い女の子たちは、都会から来たヒッピーに興味津々。それがさらに男たちを苛立たせる。イージーライダーたちは、そんなことにもあまり気を回せない。どうせ、俺たちは嫌われ者さ、という感覚が初めからある。都会でも嫌われていたんだから、田舎でも嫌われるのは当然だと思っている。しかし、都会の保守と田舎の保守は違うのだ。田舎の保守は革新派、急進派に慣れていない。慣れていない分、彼らのことを怖がるのだ。

自分探しの旅に出たイージーライダーたちは、結局、自分たちでは自分を見つけられない。自分が見つけられないものを他人も見つけられるわけがない。結局、彼らは田舎町で「邪魔者」と認定され、排除される。

自分に素直に声を上げたものが排除されるという構図は映画や小説ではお馴染みだ。そして、それはビジネスの世界でも同じなのかもしれない。中途半端に周囲の声を聞き入れていると身動きが取れなくなって失敗する。とことん聞いて、その声も自分のものにしてしまうか、それともアクセル全開で周囲を振り切ってしまうか。経営者にそのどちらかの覚悟があれば、革新的なビジネスに可能性が見えてくるのではないだろうか。どちらにしても、我が道を信じるしかない。

だとしたら、イージーライダーたちの悲劇は、結局、自分たちを信じきれなかったことで起こった悲劇なのだろうか。新しい保守というものが喧伝される今だからこそ、もう一度、この映画を見てみる価値があるのかもしれない。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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