経営者のための映画講座 第49作『七人の侍』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『七人の侍』の戦は今も続いている。

なんとなく王道を外す性分があり、小津安二郎なら『東京物語』ではなく『お早よう』を紹介してみたりする。黒澤明から何かと考えた時にもつい『椿三十郎』にしようかなとか、『どですかでん』だな、とか思ったりする。

でも、「経営者のための」というなら、やっぱり『七人の侍』は外せない、と思い直す。なにしろ、ここにはひとつの村を救うという大きなプロジェクトが丸ごと描かれているのだ。

映画の舞台は戦国時代末期。米ができると野武士がやってきて作物を強奪されてしまう村があった。米だけではなく、若い娘がいれば見境なくさらわれたりもする。そんな状況をお上に伝えても何にもしちゃくれない。まあ、今とそんなに変わらないということだ。では、どうすればいいのか。村人たちは戦うことを選択するのだ。食い詰めた侍を雇って用心棒にしようというわけだ。

こうして集められた侍たち七人。それぞれに癖があり、得意技がある七人が右往左往しながら村を守ろうと戦うことになる。黒澤明はラストの決戦を豪雨に設定した。いつ止むとも分からない土砂降りの雨の中、侍たちは戦い続ける。まるで窮地に陥った限界集落をただ同然に奪い去ろうとする新興IT企業から守る町づくりNPOの戦いを見るようだ。

だいたい町づくりNPOは負けてしまう。金のため、という共通目的を持っていないからだ。しかし、本来、金のために集められた七人の侍たちは、戦いながら武士としての気概を取り戻して行く。つまり、彼らの戦いの目的が金から誇りへと変わっていくのだ。そして、迫り来る野武士の大群を相手に七人の侍たちは死闘を繰り広げる。

結果、七人のうち生き残ったのは三人。戦には勝ったが虚しさが漂う。しかし、村人たちは次の田植えに嬉々として取り組んでいる。それをみていた侍のリーダーである官兵衛は「今度も負け戦だった」とつぶやく。そして、怪訝な顔をする仲間たちに向かって続ける。「勝ったのはあの百姓たちだ。わしらではない」と。金のために戦った侍たちとは違い、村人たちには守るべき土地と血族がいる。金がほしい理由はいろいろあるだろうが、土地と血族を守る理由などない。理由などなくても、「守らなければ」「明日へつなげなければ」と思うものがあることほど強いものはない。武士の誇りよりも、村人たちの守るべきもののほうがより明確でより重みがあったということなのだろう。

しかし、現代の村おこし、町づくり、限界集落からの回帰には土着の強みはない。企業が知恵と人手を貸し、隣町に負けるな!と浅はかなプロジェクトで向こう二、三年のプランに打ち込む。失敗すると企業は逃げて元の木阿弥になるだけ。もともとダメになりそうだったんだから、誰も本気では怒らない。うまくいけば、隣町もその向こうの町も真似をし始めて、結果再び共倒れになる。

こうなると、企業に助けてもらうだけじゃダメだ、自分たちで考えなければ、と村や町がコンサル企業出身者でいっぱいになる。個人が生き残ろうとあの手この手。町や村があの手この手。国は知恵がないので「自己責任で」と金だけを渡す。これは戦だ。勝ち負けが個人の達成感や利益という、限りなくミニマムな欲望に満ちた戦だ。今も昔も、戦には巻き込まれないように生きるのは至難の業なのかもしれない。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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