経営者のための映画講座 第66作『隣の女』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『隣の女』が教えてくれる付かず離れずの難しさ。

フランソワ・トリュフォーの晩年の作品はどれも面白い。『終電車』『隣の女』『日曜日が待ち遠しい!』と快進撃が続いたあと、ヌーベル・ヴァーグの騎手と言われたトリュフォーは52歳という若さでこの世を去った。ということは、晩年の作品が面白い、というよりも脂がのりきってピークを迎えた時に逝ってしまったというほうが正しいのかもしれない。

『隣の女』は1981年の作品。ベルナール(ジェラール・ドパルデュー)とマチルド(ファニー・アルダン)はかつて恋人同士だったが、いまは連絡も取らずにいる。しかし、単なる偶然か、神のいたずらなのか。ともに結婚し家庭を築いている二人が隣どうしの家で暮らすことになってしまう。動揺する二人。しかし、無視するわけにもいかず、互いに交流しながらもかつてのことはおくびにも出さないという日々が続く。

しかし、二人が別れたのは憎み合っていたからではなかった。互いに愛し合い、それが過ぎたことで互いを傷つけあうことになり別れるしかなったのだ。二人が再び引かれ合うのは必然だった。

最初は男から。どうしても、再び、マチルドを抱きたくて仕方がなくなる。拒むマチルド。迫るベルナール。このあたりをサスペンスタッチにする手腕はトリュフォーならではだ。やがて、二人は再び関係を持つことになる。すると、今度はマチルダが再びベルナールに夢中になってしまう。こうなると、妻に関係を知られたくないベルナールは逃げ腰になる。迫っていたものが逃げ、逃げていたものが追う立場に入れ替わる。

「一緒では苦しすぎるが、ひとりでは生きていけない」というのはこの映画のキャッチコピーだが、まさにその通りの展開になる。いわゆる修羅場がやってくるわけだが、よくよく考えて見ると、ベルナールとマチルドが二人っきりなら問題はないはずだ。肉欲に溺れようが、喧嘩しようがそれを修羅場とは呼ばない。修羅場となるのは互いが家庭を持っていて、それぞれに社会生活があるからだ。

友だちどうしてタッグを組んで会社を始めると、だいたい途中で揉める。家族経営をしている会社が骨肉の争いを始めたりする。もちろん、人が集まる組織で揉め事があるのは仕方がない。しかし、そこに友情や愛情といった情が絡んでくると、どうしても揉め事がややこしくなる。利害関係だけではなくなるからだ。

もしかしたら、ベルナールとマチルダの家が隣同士ではなく、もっと離れいてれば二人の愛の再燃はうまくいったのか? いや、おそらく同じような結果になっていただろう。なぜって、二人は「一緒にいたい」というだけの人間ではなかったから。この二人は「ひとりでは生きていけない」タイプの人間だったのだと思う。

「一緒では苦しすぎるが、ひとりでは生きていけない」というこの映画の言葉を、一人でビジネスを立ち上げようとする人は考えてみた方がいいかもしれない。みんなが組織で働けるわけではないのと同様に、みんなが一人でビジネスを立ち上げられるわけではないからだ。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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