経営者のための映画講座 第72作『千と千尋の神隠し』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『千と千尋の神隠し』のカオナシはなぜ怖いのか?

映画『千と千尋の神隠し』に限らず、スタジオジブリが制作するアニメ作品には、魅力的なキャラクターが数多く出てくる。その中でも最強だと思うのが、カオナシである。なにしろ、他のキャラクターのように一つの存在を成していない。カオナシは誰もの中にある欠落と過剰の集合体なのである。

カオナシは寂しい。寂しさ故に依存できる相手をいつも探している。そして、そんな相手を見つけると喜んでもらおうと、カオナシはまるでストーカーのようにつきまとう。また、そんな孤独を埋めるためになんでも飲み込んでしまう。まるで過食症のようにカオナシは底なしにものを口に入れる。

つまり、カオナシには実態がないのだ。しかも、彼は無表情な仮面をつけられることで、感情さえ見せない、まさに顔のない存在として『千と千尋の神隠し』という作品の中で大きな存在となっていく。それはそうだろう。例えば、あなたの会社に表情も感情も見せず、ただそこにいて、周囲の人々に依存するような社員がいたらどうする? 私ならその不気味さに、見て見ぬ振りをするか、強行に退職を迫ってしまうかもしれない。それほど、私はカオナシが怖い。

それなら、カオナシがカオナシになる前になんとかするしかない。彼(彼女なのか?)が無表情になる前に、または無表情な仮面をつける前に、そっと話しかけ、その笑顔を引き出さなければならない。いや、怒りでも悲しみでもいい。なんらかの感情を引き出し、カオナシをカオナシにしない手立てが必要なのだ。

さて、そんなふうに『千と千尋の神隠し』を見てみると、主人公である千尋にとって「ああ、あの時にカオナシとこんなふうに接するべきではなかった」と思われるような場面がいくつか出てくる。もちろん、そこでの行動で、何かが変わったのかどうかはわからない。わからないけれど、そんな気持ちになる場面があるということが宮崎駿という監督の奥の深さだと思う。

やがて主題歌の歌詞が聞こえてくる。

呼んでいる

胸のどこか奥で

いつも心踊る

夢を見たい

かなしみは

数えきれないけれど

千尋が歌うのではない。カオナシがこの曲を歌っているのだとしたら。ああ、顔(表情)がないって、なんて怖いだろう。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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