経営者のための映画講座 第70作『サクリファイス』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『サクリファイス』の省略と飛躍はどこから来たのか。

『サクリファイス』はアンドレイ・タルコフスキーの遺作である。この作品を一言でいうなら、神との約束と自己犠牲の話だと言うことができるだろう。映画全体を通じて、いわゆる神話的な厳かなムードが漂い、神の御心に翻弄される人々の狼狽える姿が美しい映像とともに映し出される。

スウェーデンのゴトランド島で暮らすアレクサンデルと妻アデライデには、娘と息子がいる。小間使いもいてある意味、満たされた生活に見えるのだが、夫婦仲は悪い。その他の島の住人たちとの関係もどこか不穏だ。そんな不穏な日々が現代社会に生きる私たちの不安と重なるのだが、映画の中の世界はさらに不幸が襲う。テレビの報道が、突然、核戦争が始まったことを告げたのだ。

この映画、タルコフスキーの映画としてはとてもわかりやすい。核戦争が起こる。人々が狼狽える。懺悔と後悔。悪魔との取引と赦し。すべてがない交ぜになっている状況をタルコフスキーは映画的な省略と飛躍で伝えてくれる。

核戦争が起こる瞬間は室内だけの描写だ。白夜で外が薄明るい。室内では核戦争勃発を伝えるテレビニュース。立ち上がる人々。飛び交う飛行機の音。揺れる窓。震動する食器棚。置かれていガラスの容器が落ちて割れ、なかの牛乳が床に飛び散る。これだけで、タルコフスキーは核戦争の始まりを描写する。

映画は省略と飛躍だと思う。どこを省略して、どこを強調して、どこをつなぐか。そのセンスこそが映画監督の資質だと思う。タルコフスキーは映画を信じている。そして、自分自身の演出を信じている。もう少し、わかりやすくとは考えずに、どこまで省略してもいいかを常に考えているように思えてしまう。

それは映画を信じることであると同時に、観客を信じることでもある。最近、すべての創作物はあらゆるリスクヘッジを考慮していると思われる。バラエティ番組で大量に登場する食材を、収録後に本当にスタッフがおいしく頂いているなんて、誰も思っていない。ただ、そう書いておいた方がクレームの電話が減るから書いてあるだけだ。

つまり、視聴者を信じられないのであり、視聴者も番組の作り手を信じてはいない。これはなにも映画や番組だけの話ではない。すべての仕事がミニマムな信頼関係へと立ち返る時に来ているのかもしれない。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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