経営者のための映画講座 第46作『鳥』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『鳥』で描かれる恐怖の原点。

ヒッチコックは映画監督としてのキャリアの中で50本以上に及ぶ作品を残したが、そのほとんどがサスペンスかスリラーだった。つまり、彼は人を驚かせるためだけに映画を作り続けた監督であり、その純粋さ故に世界中の映画監督が彼の演出や技法に影響を受けることとなったのである。

ヒッチコック作品の中でも『鳥』は最もよく知られた作品だと言える。普段は大人しい鳥たちがある日突然、人の敵となり襲いかかってくる。ただそれだけの話がこれほど恐ろしいのは、物語の随所にコメディタッチな部分があり、その緩急が激しいからかもしれない。

ティッピ・ヘドレン扮するメラニーが物語のなかで最初に鳥に恐怖を感じる場面もそうだ。公園で彼女が一息ついているのだが、この時、メラニーの背後にあるジャングルジムにカラスが1羽だけ止まっている。しかし、次にカラスが数羽になり、やがてジャングルジムを埋め尽くすほどに増えている。驚いたメラニーは逃げ出し、カラスたちは一斉に襲いかかってくる。

最初、観客は鳥が増えていく、というカットにおかしさを感じる。「そんなことはないだろう」と笑みさえ浮かべる。しかし、それがジャングルジムいっぱいになり、画面を覆い尽くすようになると急に恐怖を感じる。つまり、メラニーの恐怖を観客が自分の恐怖として感じるように、ヒッチコックは周到に計算しているのである。

しかも、この『鳥』という映画には答えが用意されていない。つまり、なぜ鳥が人に襲いかかってくる理由が明かされないのだ。なぜ、という疑問に答えてくれないことほど怖いものはない。なにしろ人は理由を欲しがるものだから。

現代社会では説明責任という言葉が伝家の宝刀のように使われる。職人が「おれの背中を見て覚えろ」などというのは、パワハラだと言われる始末。職人の技はしっかりとマニュアル化し、若い人たちに引き継いでいくのが王道になった。

しかし、と思うのだ。理由なんて関係なく「いや、昔からこうしてきたんだ。やっているうちにわかるさ」という教え方が、それほど理不尽だろうか。例えば、経営者が若い世代に会社を引き継ぎたいと思ったときに自分の苦難の道をマニュアル化することなんて不可能だ。ほとんどの経営者がその時その時の状況にしっかり対応することでなんとか生き延びてきたのだ。正解なんてわからないまま。そんな経営者たちが口を揃えていう「運も良かったんだと思いますよ」という言葉だって、あながち照れ隠しだけではあるまい。

さて、ヒッチコックの『鳥』に話を戻そう。この映画、次から次へといろんな鳥が人を襲う。そして、最後の最後、どう解決するのかというと…。なにも解決しないまま、理由もわからないまま、ただ、鳥たちに覆い尽くされた世界へと主人公たちがそろそろと車を走らせていくところで終わるのだ。しかも、車のなかにはオープニングで主人公が購入した生きた小鳥「ラブバード」をのせて。さて、次世代の若き経営者が不安と期待を乗せて走り出す車には、どんなラブバードが同乗しているのだろう。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

感想・著者への質問はこちらから