このコラムについて
経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。
『八十日間世界一周』が見せてくれる夢のまた夢。
映画は夢だ、と言い切りたい。映画を一本見たら夢心地になり、何もかも忘れて幸せな気持ちになれる。そんなふうに思いたい。けれども、今の世の中、そうはいかない。そこまで甘い世の中だとは思えないし、たかだか映画一本で世の中が変わるとは思えない。それに、みんなが同じ夢を見れるほどお気楽な時代ではないのだ。
さて、そんな時代にあって、『八十日間世界一周』というハリウッド大作がどれほどの効力を発揮するのか、私にもよくわからない。ジュール・ヴェルヌが原作を書いたこの作品は、鉄道や船、気球を使って世界を八十日間で回れるのか、というシンプルな物語をみんなで見守る、というものだ。シンプルだけれど、あちらこちらに「ようし!作るぞ!」という熱意が溢れている。
例えば、しがないピアニスト役はフランク・シナトラがチラリと顔を出し、これまたちょい役の飲み屋の女をマレーネ・ディートリッヒが演じたりする。たしか、この映画あたりから「カメオ出演」というのが流行ったらしい。しかし、そんなことより、音楽だ。ビクター・ヤングが作曲した主題歌『アラウンド・ザ・ワールド』の豪華絢爛たる雰囲気と全世界の人たちが世界一周を夢見ていると疑わない純粋さで奏でられるメロディーが、大空へと舞い上がる気球のカットに重なるとき、私たちは「ああ、映画は夢だったんだ」という追憶にふける。そして、「夢だったんだ」という追憶でしか、この作品を見ることができない哀しみを知る。
そして、思うのだ。もしかしたら、「八十日間世界一周」だから夢だったのかもしれないと。これが「一泊二日ご近所散歩」なら夢にならずに現実を楽しめるのかもしれない、と。そういえば、いまの世の中、手の届くものしか信じられないし、許容できない。「大きいことは良いことだ」とみんなで歌うような余裕もない。だとしたら、とても小さな、旅にもならないような散歩を楽しむことで、地球まるごとが気球になったような幸せな気持ちになることはできないのだろうか、などと考えてみたりもする。
経営者たる者、夢を持たなきゃいけないと思うし、その夢は大きな方がいいとも思う。けれど、大きすぎて実現不可能なら絵に描いた餅だし、大きな夢を共有してくれそうな若いやつもいない。そうなると、小さな現実可能な夢を若いやつらと語り合って、そっと優しく育てていく方がいいのか、などとも考えてみる。
いや、それさえも、もしかしたら、この映画のなかの気球に一度乗ってしまった者の身勝手な夢のようだ。すると、「一泊二日ご近所散歩」さえも、スマホの中の世界だけを散策している人からすれば……。ああ、これ以上考えて、夢になっちゃいけねえ…。お後がよろしいようで。
著者について
植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。