経営者のための映画講座 第5作目『用心棒』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週金曜日21時。週末前のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『用心棒』の世渡り術。

黒澤明が1961年に世に送り出した『用心棒』は文句なしの娯楽大作として大ヒットした。あまりのヒットぶりに別の作品として企画されていた脚本を続編に改訂して『椿三十郎』が作られたほどだ。この作品で主演の三船敏郎は第22回ヴェネツィア国際映画祭で男優賞を受賞した。

映画としての特徴は、いわゆる活劇としての時代劇として作られているということだろう。刀で切りつける音や、多少残虐なカットを敢えて取り入れるなど、観客を飽きさせない工夫が随所に見られる。そして、わずか3年後にはセルジオ・レオーネ監督が『荒野の用心棒』として非公式に西部劇としてリメイク。これも世界的に大ヒットした。

寂れきった宿場町。賭場の元締めである清兵衛一家と丑寅一家の抗争が勃発し、町人たちは商いも出来ずに町に立ち寄る村人もいない。この荒廃した町にふらりとやってきたのが三十郎という浪人だ。三船敏郎扮する三十郎は、本作では桑畑を眺めなら「俺の名は桑畑三十郎だ」と名乗り、続編では椿を眺めながら「椿三十郎だ」と名乗る。要は氏素性を明かさず旅から旅の浪人なのだが、腕が立つ。そして、性根がいい。最初は揉めているヤクザ一家の両方を手玉にとって飯でも食ってやろうという算段だったが、困っている町人たちを見ている間に、町のための動き始める。

ここからの三十郎の目配せが素晴らしい。相手が自分をどう見ているのかを的確に読み取り、どう動けば相手が油断するのかを考えながら青写真を描いていく。三十郎の動きで、二つの組の抗争は激化し、多くの命が失われていく。このあたりの残酷さがショッキングなのだが、だからこそ三十郎の行動の一つ一つに緊張感が漂う。ようは生きるか死ぬかなのだ。下手をすれば自分だって命を落とすかもしれない。そして、罪もない町人たちの命が危険にさらされてしまうかもしれない。と書いてみると、日々ストレスと緊張の中で舵取りをしている経営者たちの顔を浮かんでくるというものだ。

娯楽大作だから、最後は都合よく運ぶんだろう、と思う方もいるかもしれない。しかし、私はこの映画がバッドエンドでも構わないと見ている途中から思えてきたのだ。なぜなら、三十郎が性根の良いヤツだから。悪賢いところもあるし、品のないところもある。しかし、彼はどこまでも良いヤツなのである。三十郎がもし途中で命を落とすことがあったとしても、きっと彼の性根の良さはこの町のどこかに受け継がれるはずだ、と思わしてくれるのだ。

もしかしたら、この性根の良さが全ての根本になければならないのではないかと、この映画を見ていると思えてくる。ただタイミングだけで株を売り抜けて大もうけすることに問題はない。しかし、その瞬間に誰かが痛い目に会っているという映像が浮かんできたとしたら、その人物の無垢はきっと傷つけられてしまう。そうなったら、あとはその傷をひたすら隠すための努力が必要になる。そして、嘘を吐く。嘘を隠すために新しい嘘が重なる。

そうやって、創業当時の輝きを失ってく企業をたくさん見てきた。では、三十郎はどうするのだろう。自分の役目を終え、町に平穏をもたらし、町人に笑顔を取り戻したあと、ここに残ってくれ、と言われても三十郎は「自分はそんなことを考えていたのではない」と答えるだろう。そして、彼は知っているのだ。自分がここに残ることが町にとって良いことではない、ということを。だから、三十郎は町人を助けた後、「あばよ」と去って行くのである。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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