本日の斬り口:言い方を変える
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拙者、英語というと
思い出すことがある。
アメリカ在住の
物理理論学者の
N先生は、
某有名大学に
呼ばれて、
しかたなく
日本からアメリカに行った。
論文は英語だが、
話すのは苦手で
英語で話しているのだが、
英語ネイティブたちには
ほとんど聞き取れない。
そこで、N先生に
日本語で話してください
と英語ネイティブたちが
お願いをし、
通訳をつけることにした。
というエピソードだ。
聞きたいっ!
と思うことは
言葉関係なく、
聞きたいっ!のだな。
と拙者、しみじみ
感じたエピソードでござる。
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そもそも英語は
英国の植民地が
多くあったことが
活用、使用人数を
増やした。
統治した国の
法律を英語にし
上層階級が
英国で教育を
受けるようにし
それを本国に
送り返したので、
政治や経済、
教育など
国家にとって
重要なカテゴリで
英語が公的に
使われるようになった。
植民地とは
言葉の統治でも
あったわけでござる。
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いまは、英国も
当時の勢いを潜め、
米国が国際的な
影響力を持つ。
英語から米語
へと国際的に
活用されている言葉が
移っている。
面白い!と思うのは
米国では、
国民の8割もの人が
米語を使うのに、
国家として
公用語
には指定して
いないことだ。
州ごとに
公用語だったり
公用語はなし、
としていたりと
バラバラでござる。
いま、英語を
必死に勉強して
脳に言語構造を
転写しているが、
そのうち
そういう行為が
ノスタルジー
として扱われる
ようになるのだろう。
公用語という
発想自体が
旧いOSに
なっていくのだろう。
拙者はそんなふうに
感じている。
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言語は、
便利に使うもの
という道具としての
イメージが強いが、
実は、もっと
深い根を張っている。
わたしの言語の限界が
わたしの世界の限界だ
と哲学者、
ウィトゲンシュタインは
言った。
言葉は思考を
司るのござる。
自分の知らない言葉で
思考することはできない。
これは他国語という
意味だけでなく、
母国語の
語彙
も含んでいる。
知らない言葉が
自分の思考に
影響を与えることは
できないのでござる。
言葉は思考を司り、
それは世界を創っている。
とするならば、
英語の思考回路で
構築された世界が
世界の表面に
多く登場している
時代をわたしたちは
過ごしているといえる。
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ってことで
英語とは単に言語の一種ではない。
英語とは
この世界の表層を構築している
でござる。
拙者、唾が飛ぶ発音が多い言語は苦手でござるよ。
パンダ侍のプロフィール
あまりの弱さに
天敵に追われ、
争いを避けて、
しぶしぶ笹を食べ始める。
しだいに美味しく
感じれらるようになり、
肉食であるにもかかわらず、
肉をまずく感じるようになった
熊を先祖に持つ。
育ての先生の
気まぐれから、
こやつは笹薮から
世間に出してみよう
ということで、
草むらを転がり、
川のせせらぎをまたぎ、
欄干をスキップして、
東京に生息。
ある日、笹かまを食べ、
こ、これは笹ではない
と、その驚きで、ほっぺが落ち、
その衝撃で震えがとまらなくなり、
その震えから膝ががくっと落ちた、
その瞬間、
本質を見定めよ。
と天啓をうける。
それ以来、
本人の意思とは関係なく
白いしっぽが
陰陽太極図となり
白黒混ざり合う世の中で、
そもそもを斬ることになる。
腰に非常食の竹笹を
さしていたところ、
侍だったんですねー。
と、たまたま勘違いされ、
パンダ侍と
呼ばれるようになり、
現在に至る。
食べること、人間観察、木彫を修行とし、
愛と誠と調和、そしてユーモアを信条とし、
対話によって内発と創発を起こす現場づくりを得意とし、
中小企業の理念づくりやブランディング、新規事業開発を通じた組織変容、
また、経営者の自己変容セッションを生業にしている。
日本大学大学院藝術学研究科修士課程修了後、
企画・コンテンツ開発会社で企画ディレクションを経験後、2006年、株式会社つくるひとを創業。
売上高2億~7,700億円規模の組織、業種業態を問わず、創業以来780を超えるプロジェクトを経験。
10年間でのべ3万人の現場会議を中心に据え、対話型の課題解決に関わる。
現場プロジェクトメンバーの個人成長と集団組織の変容を
常に後押しするプロジェクト型のコンサルティングスタイルを貫き、「考え方」や「対話デザイン」を修得してもらいながら、実際の課題解決をすすめる。
幼いときは宇宙人、変人と、揶揄され、学校社会になじめないまま成長したが、実社会では「変人視点」が求められることが増え続け、重宝されている。
ツクリビト株式会社 代表取締役
デキル。株式会社 代表取締役
一社)一般社団法人ビーイング・バリュー協会 理事/マスターコンサルタント