変と不変の取説 第96回「日本と中国の昔々」

「変化だ、変化だ、変化が大事だ」とみなさんおっしゃいますが、会社も商品も人生も、「変えなくてはならないもの」があるのと同様、「変わらないもの」「変えてはならないもの」もあるのです。ではその境目は一体どこにあるのか。境目研究家の安田が泉先生にあれやこれや聞いていきます。

 第96回「日本と中国の昔々」

前回、第95回は「師弟関係が紡ぐ未来

安田

日本に文化らしきものが根付いたのって卑弥呼のあたりでしょうか。中国から金印をもらったんですよね。

そうですね。邪馬台国の卑弥呼です。

安田

邪馬台国がいまの日本の元になったんですか?

そうです。

安田

へえ〜。そうなんですか。邪馬台国と大和朝廷は一緒ですか?

違います。派生はしてると思うんですけど。卑弥呼って「日巫女」じゃないかって言われる説もあって。卑弥呼っていうのは「卑しい」って書くじゃないですか。

安田

はい。なんであんな字を使ったんですか。

「卑」っていう字を当て字にして、中国に行って「われわれはあなたより下ですよ」とへりくだったわけです。「世界の中心は中華ですよ」って。

安田

それは金印をもらうために?

そうです。当時は中国に認められないと日本を統治できなかったので。

安田

なるほど。そのために自分を卑下して、貢ぎ物もいっぱい持っていったと。

いろいろ貢ぎ物を持っていくじゃないですか。

安田

はい。

すると「おお、そうかそうか」と言って、その10倍ぐらい貢ぎ物を返してくれるんですよ。

安田

え?どういうことですか。

要するにプレゼントをもらうんですよ。「自分たちはすごい国だろう」っていう威圧をプレゼントで見せるっていう。

安田

なるほど。でも、もらった以上にあげるんだったら、何のために支配してるか分からないですね。

「中華の威力を見せつける」ということが目的です。

安田

ちなみに、卑弥呼がいたとされるのっていつ頃なんですか?

たしか2世紀とか3世紀とか、そのへんだったと思います。

安田

じゃあ中国はもう三国志の時代ですね。

そうです。三国の中で最も勢いのあった魏(ぎ)に使者を送って金印をもらったわけです。

安田

それはつまり「治めてもいいよ」という許可をもらいに行ったということですか?

そういうことです。金印には「親魏倭王」と書かれていて、魏の下の倭の国の王という意味ですね。

安田

ある意味、形は違えど属国みたいなもんだったと。

そうです。卑弥呼に関する文献も日本にはなく、「魏志倭人伝」という中国の記録に出てくるだけなんですよ。

安田

そう考えたら中国ってすごいですよね。日本にまだ文字すらない頃に、すでに中国は文明に近いものがあったっていう。

黄河文明ですね。当時の中国は日本とは比べ物にならない先進国でした。

安田

なぜ、それほどまでに中国は、人類の中でも先駆けて発展したんですか?

中国の最初の王朝って覚えてますか?

安田

始皇帝からしか知りませんけど。

秦の始皇帝ですね。

安田

はい。

殷・周・秦・漢とかって無理やり覚えさせられた記憶ありません?

安田

まったく記憶にございません(笑)

殷・周・秦・漢、前漢・後漢みたいな感じで、殷(いん)がスタートに近い王朝だと思うんですよ。「殷」って慇懃無礼(いんぎんぶれい)の殷って書くんですけど。ちょっと、おかしな名前ですよね。

安田

そうですか。私にはちょっと分からないですけど。

本当の名前は「商」といって、商売の「商」なんですよ。周ができたときに、前の王朝を滅ぼしたので、前の王朝の名前を悪くつけたんじゃないかと言われてます。

安田

それは前の国を貶めるために?

否定するためですね。商って字のごとく、商人の国だったんですよ。つまり中国は商人の集まりだったんじゃないかと。

安田

商売が上手かったので国が栄えて、それで文化が発達したってことですか?

そうです。「商」って元々は「移動」という意味らしいんですよ。世界中を移動していって世界中から集めてくる商人の国がスタート。なので、めっちゃ栄えたんじゃないかなと。

安田

なるほど。ちなみに、聖徳太子がいたのは何年ぐらいですか。

大化の改新が645年ですね。

安田

そんなもんですよね。

で、そのあと聖徳太子が出てくる。

安田

それまでも一応、国として日本はあったんでしょうけど。文化といえるものがようやく出てきたのがその辺りというイメージ。

そうですね。国家というものは中国のほうがはるかに進んでましたから。

安田

中国に教えてもらったんですか?国の作り方とか。

律令制とか大宝律令も、ぜんぶ中国から輸入してきてます。冠位十二階とか、ぜんぶ中国のパクリなので。

安田

漢字自体もそうですしね。

そうです。

安田

『キングダム』がいま流行ってますけど、秦の始皇帝が中国を統一したのが、紀元前の話じゃないですか。

はい。紀元前200年ぐらいですね。

安田

西洋文明でいったらキリストが生まれる前。そもそもキリストが実在したかどうかすら分からないのに、秦の始皇帝が中華を統一した歴史はきちんと記録が残ってるわけですよね。

はい。

安田

なぜそれほどまでに中国が先駆けて発展したのか。どうも不思議なんですけど。商人の国ということですけど、商売なんて世界中でやってた気がするんですよ。やっぱり中国人は優秀だったんでしょうか。

華僑が世界中にいることを考えても、仲間でネットワークをつくって商売するDNAがあるんじゃないですか。そういう人たちの国なんでしょうね。

安田

お金も中国から輸入してたんですよね。

そうです。宋のお金とか。

安田

2000年ぐらい前の段階で、すでに哲学者の孔子とか老子とかがいたわけでしょ?

そうです。たしか紀元前だと思います。

安田

アヘン戦争でイギリスに負けちゃいましたけど、それまではずっとリードしてたんですか?

かなりリードしてましたね。すべての分野で中国がリードしてるっていう。

安田

ですよね。マイセンの陶磁器なんかも中国のパクリだし。火薬も印刷も中国が先に発明してたと言われてますし。人類の中で圧倒的に最先端だった気がするんですけど。

間違いないです。

安田

それがいまや日本にも下に見られるという。この屈辱に耐えれないというのはよく分かります。ソ連時代を懐かしむロシア人の比じゃない。

でしょうね。だから習近平も「大中華をもう一度」と考えてるんじゃないですか。

安田

いつごろ衰退し始めたんですか?

最後の皇帝の溥儀でしたっけ。あの頃にはもう国としてはだいぶ衰えてましたね。だから、西洋に負けたんですよ。

安田

だけど、かなり早い段階から文明が発達してて、武器や戦術も科学技術も進んでたと思うんですけど。何か衰退するきっかけがあったんですかね。

産業革命で負けて、そこでシャブ漬けにされたのがいちばんだと思います。

安田

じゃあ、もしイギリスで産業革命が起こってなかったら、中国がまだまだリードしてた可能性もあると。

あるでしょうね。


場活師/泉一也と、境目研究家/安田佳生
変人同士の対談


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第1回:「変わるもの・変わらないもの」
長い間、時間をかけて構築された、感覚や価値観について問い直します。

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