「医者だって病気になるのです」|センパイ先生と対談シリーズ

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上谷 実礼(うえたに みれい)
・平成12年(2000年)3月千葉大学医学部医学科卒業
・千葉大学医学部附属病院などで臨床研修
・平成16年4月千葉大学大学院医学研究院助手(環境労働衛生学)
・平成19年4月千葉大学大学院医学研究院助教(環境労働衛生学)
・平成22年労働衛生コンサルタント(保健衛生)試験合格
・平成22年5月千葉大学大学院医学研究院講師(環境労働衛生学)
・平成23年4月ヒューマンハピネス株式会社設立 代表取締役就任
・令和3年 公認心理師 試験合格

医者だって病気になるのです

安田
安田

外科の適性って何ですか。

上谷
上谷

そもそも私は選択基準を間違えていて。

安田
安田

ほう。

上谷
上谷

自分は「人の話を聞いたり共感したりするのが得意だ」っていう自覚があったんです。だから共感しすぎちゃうと、患者さんに感情移入しすぎちゃうんじゃないかなと思って。

安田
安田

それで外科を選んだわけですか。

上谷
上谷

学生の浅知恵で。「外科だったら手術して、切って終わりじゃないか」と思ったんです。実際には患者さんとの共感もすごく大事なんですけど。

安田
安田

そりゃそうですよね(笑)

上谷
上谷

そういう基準で外科を選んでしまったんです。

安田
安田

だけど適性がなかったと。

上谷
上谷

私は手先がぜんぜん器用じゃなくて。

安田
安田

外科医って器用じゃないとだめなんですか。

上谷
上谷

「そんなことない。トレーニングすれば大丈夫」って外科の先生はおっしゃるんですけど。でも好きじゃないから練習しないんですよ。

安田
安田

どんな練習が必要なんですか。

上谷
上谷

たとえば手術が好きな先生って、ひまがあれば糸結びの練習をしてるんです。手術用の糸を結ぶ練習。

安田
安田

へぇ~。

上谷
上谷

時間さえあれば手術を見たり、解剖書を見て研究したり。私はそういう興味がもてなくて。「好きで才能がある人には勝てない」って思ったんです。

安田
安田

それで内科に移った。

上谷
上谷

呼吸器外科というところにいたんですけど、同じ呼吸器系の内科に移って就職したんです。だけど科を変えてみて「私がやりたいのは臨床医じゃないんだ」ってことがわかって。

安田
安田

臨床医というのは、いわゆる町のお医者さんとかですよね。

上谷
上谷

そうです。いわゆる、みなさんがイメージするような、病院とか診療所とかで患者さんの診断をして、治療するお仕事です。

安田
安田

まさに患者さんと対話する仕事ですよね。

上谷
上谷

臨床医に必要なのは治療なんです。当然ですけど病気になった人が来るわけで。だけど病気って急になるわけじゃなくて、積み重ねでなっていくわけですよ。

安田
安田

ストレスとか生活習慣の積み重ねでしょうね。

上谷
上谷

そう。だとしたら、もっと根っこのところで「予防に関わりたいなあ」と思って。

安田
安田

それで産業医になったと。

上谷
上谷

じつは私自身が卒後4年目の頃に適応障害になって病院に行けなくなっちゃって。当時いた病院がめちゃくちゃ忙しくて。週に2~3回当直があって体も心もボロボロで。

安田
安田

なんと。

上谷
上谷

寝られないんですよ。救急車がいっぱい来る病院だったので。体もボロボロで、「もう続けられない」と思って、いったん止まって人生を見つめ直すことにしました。

安田
安田

しんどい時は休んだ方がいいです。みんな無理しすぎなんですよ。

上谷
上谷

それで病院は辞めて大学院に行くことにして。教授に「人生に迷っていて、とりあえず病院辞めてきました」「大学院でがんばります」ってあいさつに行ったんです。

安田
安田

なるほど。

上谷
上谷

そしたら「じゃあ実礼、大学に戻ってこい」って、たまたま空いたポストに戻してもらって。

安田
安田

大学で働き始めたわけですか。

上谷
上谷

はい。社会学系の、それこそ産業医をやっている研究室に拾ってもらって。

安田
安田

そこから産業医になっていくわけですね。

上谷
上谷

もともと予防には興味があったので。その教室は生活習慣とか、「働き方と病気の関係」とかを研究する研究室だったんです。

 > 第3回「 精神科医は心理学を知らない!? 」へ続く

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