泉一也の『日本人の取扱説明書』第23回「静の国」

企業研修では、道場のように静かなること山の如し的な安定感と美しさがあるといいのだが、ほとんどの企業では「静かなること怖れの如し」で、心が布をかぶって隠されている。本音を語り合う中で気づきを得るというテーマであるにも関わらず、その布をとってもらうのに研修の半分は時間がかかる。仮にその半分の時間がなければ、研修の生産性は飛躍的に高まるだろう。それより問題なのは、日常の仕事が「静かなること怖れの如し」となっていることだ。怖れに疲れた人は「静かなることあきらめの如し」になっている。

静の文化に、ひっそりと侵入した怖れとあきらめ。この2つのカビ菌は静の文化を腐敗させている。昭和の時代の学生運動と労働運動は、現代ではカッコ悪くてスタイルが違う。しかし、事の本質はここにある。静と動のバランス。資本主義では会社を中心とした企業社会であるので、怖れとあきらめのカビ菌を吹き飛ばすような運動が、企業に必要である。日本は社会主義的なところが多大にあるので、官僚や役所といった行政での「動の開放」も必要になってくる。めんどくさいが、そこには「動」を提供する市場もある。

では現代版の「動の開放」とは何か。多様な人と人が出会いそこで化学反応が起こる場づくり。お互いに学びが生まれ何か「事」が始まるような、オープンでワクワクする繋がりと学習の場。まさにこれが場活である。そして、就職活動いわゆる就活は場活にとって変わるはずである。なぜなら、今の就活には「動の開放」がないからだ。たとえば数年前からOne Japanといった大企業の若手有志の会があるが、もう千人以上が集まっている。こういった場活な場で、仲間が見つかる、仕事が見つかる、企業が見つかるといった事がおこってくるだろう。

あなたの会社や役所では、動を開放する場づくりを何かしていますか?もし何もしていないなら、カビ菌で組織が腐敗していますよ。と言われて「ヤバ!!」と怖れるか、「そうは言ってもね・・」と言い訳であきらめ感が出たとしたら、「お前(の組織)はすでに腐敗している」とケンシロウに言われてしまうのである。

 

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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