泉一也の『日本人の取扱説明書』第23回「静の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第23回「静の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

アジアの各国に行くと、電車の中がとにかくうるさい。携帯でしゃべっている人、おしゃべりをしている人、みな声がでかい。日本では、夜の居酒屋を除き、ほとんどの場が静かである。話し声がアジア諸国と比べるとヒソヒソである。もちろん、職場も会議も研修も静かである。私語をする人はほとんどおらず、シーンとしている。なので、声のでかい人がやたらと存在感を放ち、時にはうとまがられる。

ドラえもんのしずかちゃんをはじめ、名前に「静」が使われ、尊敬する漢字博士の白川静さんも「静」である。「わびさび」という日本文化には静寂が感じられるし、神社やお寺では教会の賛美歌やゴスペルのように、大声で歌わない。静かに経を読むぐらいである。まさに日本文化は「静」なのである。

小学生の頃、授業中「口にチャック」と何度となく先生から叱られた。「口から生まれた口太郎」という称号をいただきもしたが、高学年、中学生になるにつれて次第にしゃべらなくなった。うるさいことがカッコ悪いと学んだからだ。その分、部活で思いっきり声を出し、仲間と語り合った。基本、日本は日常が「静」である。そして時におもいっきり「動」を開放する。爆発させるといってもいいだろう。この静と動のバランスが大切である。

昭和の時代は学生運動、労働運動で「動」を爆発させる場があった。お祭りで動のエネルギーを開放するように、こういった社会運動で静と動のバランスをとっていた。現代では、デモ活動が一部残っているが、社会運動はほとんどなくなり、あったとしても元気がない。そのせいか、日常がうるさくなり始めた。クレームに炎上に・・・。そういった不健全なところでの動が影響をしてきたのか、静に「不安やあきらめ」が入るようになってきた。つまり美しくない静に変わってきたのだ。「動かざること山の如し」ではなく、「動かざること怖れの如し」なのである。

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