泉一也の『日本人の取扱説明書』第51回「中道の国」
著者:泉一也
日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
「ボケ」と「ツッコミ」の間に笑いが起こる。ボケ単体だと周りをイラつかせ、ツッコミだけだと怒りの発露にしかすぎない。ボケとツッコミという両極があって始めて、その間に笑いという豊かさが生まれる。よって、ボケた後のツッコミのタイミング=「間(ま)」が大切なのだ。
ボケが常識をずらし、そのずらしを表現するキレの良いツッコミ。笑いの世界で「大喜利」というものがあるが、この言葉は大きく切ることで喜びが生まれるという二重の意味が含まれているのだろう。大喜利では回答者はボケるのだが、それを見ている観客が心の中でツッコミを入れて笑いが起こる。観客がツッコミ担当なのである。つまり、観客側をツッコミ担当にしてしまう、その高等なボケ技術が回答者に必要であり、その技術がわかる観客のレベルも高くないといけない。日本では、漫才師、落語家、ピン芸人といった人たちがそのレベルアップを日々してくれている。TVを通して無料でe-learningできるのだ。
大喜利TV番組「IPPON」での問いと回答を見てみよう。
問い:0円でできる超スーパー暇つぶしとは?
回答:赤の他人の墓参り
一本とった桂三度の回答だが、観客の心の中は「確かにそうやけど、するかいな!でもうまいなぁ」となる。「0円・超スーパー・暇」という極に対して「赤の他人・墓参り」というミスマッチで答えている、この妙。文章で書いてしまうと間がないので、笑いが起こりにくいが、回答者は一瞬にしてこの絶妙な空氣感を自分のキワなキャラを活かしながら作り出すから笑いが起こる。
これはお笑いの論評をしているのではない。お笑いのような豊かさは中道にあり、その中道の文化が日本にあるという話である。中道の文化とは、ボケとツッコミというような両極の間に価値を見つけ出すということ。中道とは、足して2で割るという世界ではない。両極の間に新しい価値を探しだすという「あり方」である。