泉一也の『日本人の取扱説明書』第133回「情景の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第133回「情景の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」

この1文を英語に訳してみよう。

「The train came out of the long tunnel into the snow country.」

川端康成の代表作の一つ「雪国」の冒頭であるが、英訳したのはエドワード・ジョージ・サイデンステッカーという日本文化を研究するプロの翻訳家。雪国以外にも「伊豆の踊子」、谷崎潤一郎の「細雪」、さらには「蜻蛉日記」までも英訳している。

エドワードの英訳を日本語訳してみよう。

「列車は長いトンネルを抜けて雪国に入った」となる。

ちょっと変な感じがしないだろうか。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」とは何かが違う。

そう、視点が違うのだ。

英訳の「列車は」という主語によって視点は固定化された。読者は空の視点から客観的に列車を見ることになる。

川端康成の文章は、主人公の視点と客観的な視点が同時にある。この同時的な視点。これを「場の視点」という(私が勝手にいっている)。場の視点とは、主観(主人公のfeel)と客観(外から見たfact)の融合なのだが、もう少しわかりやすく言うと情景である。

景色、風景、情景と日本語ではその場の様子を表す言葉が複数あるが、英語ではsceneの一語でこと足りる。主観と客観が重なり合うのは日本語特有であり、景色、風景、情景と徐々に両者の重なりが増していく。

英語は主語を明確にしないと文が成り立たないので、視点が固定化されてしまうが、日本語は主語がなくていいので、その曖昧さの中に主観と客観を重ね合わせる「余白」があるのだ。

訳者のエドワードは百も承知だっただろうが、主人公を主語にしたら列車の中から外の雪景色を見るという全く違うsceneになるので、妥協して空の視点で表現したのだろう。

日本人は主観と客観を重ね、「情景」という場の視点を持つことができる民族だとすれば、この能力を活かさないわけにはいかない。長所伸展である。

では、何に活かせるのだろう。

うーん、考えたがわからない。全然思いつかない。主観と客観を重ねたら、捉え方が複数通りでてくるので、誤解と混乱を招くだけ。ええことないやないか!!もしかして、日本人の短所ではないのか。

主観と客観の境目。それは明確な方がいいにきまっている。Factfulness(ファクトフルネス)なんて思い込みを外してくれるような素晴らしい本が売れているように。

考えても考えてもトンネルの出口が見えないのは、「問い」が間違っているのかもしれない。「何に活かすのか?」という問い。活かすとかそういうものではないのかもしれない。効用を考えてしまい、出口のない思考をしていたのだ。あっ、今の瞬間、トンネルから出たぞ。

境目の長いトンネルを抜けると「ブランク(空)」だった。

 

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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1件のコメントがあります

  1. イーさん

    ご無沙汰してます。

    主観と客観との重なりあわせの、「余白」にイノベーションの可能性が隠れています。先輩のコンステレーションですよ。

    今の若い人たちは、ファクトフルネスを追いすぎます(ウエスタン)。日本人の本能に立ち返り、「余白」を肯定的に生きることが、一つの解になるのではないでしょうか。

    以上は前置きで、長くなりました。

    コメントの趣旨は、「雪国」のご解説、とても良いのでパクらせて下さいというお願いです。
    肯定的に、使わせていただきます。

    いつも面白く拝読させていただいています。ありがとうございます。

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