変と不変の取説 第9回「行き当たりばっちりの仕事」

「変化だ、変化だ、変化が大事だ」とみなさんおっしゃいますが、会社も商品も人生も、「変えなくてはならないもの」があるのと同様、「変わらないもの」「変えてはならないもの」もあるのです。ではその境目は一体どこにあるのか。境目研究家の安田が泉先生にあれやこれや聞いていきます。

 第9回 「行き当たりばっちりの仕事」

前回「日本には自治体がない?」では、公務員の仕事と自治体制度の話に。前々回の江戸時代の武士はサラリーマンで役所仕事をしていた頃から続く、公的な仕事とAI化の関係に話が及びました。

安田

会社員ゼロにはならないと思いますけど、今後、職人は増えていきそうですよね。

間違いなく、増えて行くでしょうね。

安田

今、公務員やってる人とかも、職人として生きて行く可能性はありますか?

大いにあります。

安田

「職人=ブルーワーカー」みたいなイメージってあるじゃないですか。今後は変わるんですかね?

変わるでしょうね。基本的に職人というのは、ある種のアーティストなんですよ、元々は。

安田

アーティストですか?

はい。芸術性をもってないと出来ないんですよ。美しさがなかったら売れない。

安田

昔もそうだったんですか?

昔のほうがそうだったんです。作ってるものが、どれだけ美しいか、どれだけその人らしいか。

安田

じゃあ、職人=ブルーワーカーというイメージは、現代になってからですか?

そうです。

安田

でも昔も現代も、ものづくりじゃない、作業員的な職人もいるじゃないですか。たとえば屋根の雨漏り修理する人とか。

そういう職人にも「一種の芸術性」みたいなものは、求められていたと思います。

安田

芸術的雨漏り直しとか?

昔は、たとえば天井の雨漏り直すだけでも、それなりの技術とか芸術性をもった人がやってたんだと思います。

安田

たしかに、欠けた茶碗を継ぐだけでも、芸術センス要りますもんね。

そうです。直したように見えないくらい完璧だったり、直す前よりもさらに味わい深かったり。そういう職人がいるわけですよ、今でも。

安田

昔の職人さんって、自分が興味あるものとか、得意なものとかから、その世界に入って行ったんですか?それとも親の職を継ぐ感じですか?

両方いたと思います。親も含め、身近に職人さんが多かったですから。小さい頃から手伝ったり、教えられたりはしてたでしょうね。

安田

それは親に限らず「近所のおじさんの手伝いして」とかもあったんですかね。

あったでしょうね。「手先器用だから、お宅の子をうちんとこに弟子入りさせてくれ」とか言われて「ああ、じゃあ頼みますわ」みたいな。

安田

なるほど。実際に体験して自分の得意を見つけてたと。

そういうのは、結構いっぱいあったでしょうね。

安田

商人も身近だったんですかね?

みんな職人であり、商人でもあったので。直接、売り買いしてましたから。

安田

今は、職人とか、商人って、ものすごく遠い感じがしますね。

遠いですね。

安田

江戸時代とか、ひょっとしたら明治ぐらいでも、会社に雇われなくても自分が食うぐらいは何とかなってたわけですよね。

今では想像つきませんけど、昭和30年頃までは普通にそんな感じですよ。

安田

じゃあ、戦後に一気に変わった感じですか?

会社員がこんなに増えたのは、ホントここ数十年のことです。

安田

でも会社から離れて生きて行くのって、もの凄く難しいイメージですよね。現代人からしたら。

そう思い込んでいるだけですよ。

安田

昔の人って、どうやってそのスキルを身につけてたんですか?

それが標準なんで。「おまえ手にどういう職つけてんだ?」「だったらこれ手伝ってくれ」って感じで、自然に商売が成り立ってた。

安田

大人になったときには手に職がついてて、商売の基本も身についてた?

飯が食えるスキルは身についてたでしょうね。

安田

今だったら、身につくのは「いい会社に入るスキル」ですもんね。会社から離れられなくなるわけですね。

昔は徒弟制度がありましたから。

安田

何ですか、それは?

みんな師匠がいたんですよ。たとえば転職するときに「君は誰が師匠だ?」って聞かれるわけです。

安田

今だったら聞かれるのは、出身校や出身企業ですね。

「最初の師匠はあの人で、二人目はこの師匠で」「ああ、そうか。おまえは彼らの弟子だったのか。じゃあ採用」みたいな。

安田

昔だったら、身近にそういう大人がたくさんいたんでしょうね。親父だったり、親戚だったり、隣のおじさんだったり。

そう。隣のおっちゃんがやってる仕事が面白そうなら「手伝わしてください」って弟子入りする。

安田

でも現代は、会社員ばっかりじゃないですか。近所には師匠がいませんけど。

中学生くらいになったら、アルバイトさせたらいいんじゃないですか。

安田

アルバイトですか?

職人さんとこで仕事を体験させてもらって、やりたいことを見つけて行く。

安田

どうやって職人さんを選ぶんですか?

子供はみんな好奇心の塊ですから、その子が興味を持ったことをやらせればいいんですよ。

安田

なるほど。じゃあ、大人はどうしたらいいんですか?

大人ですか?

安田

はい。企業にいられなくなった40〜50代のおじさんたち。そもそも職人とかに興味なさそうですけど。

難しいこと聞きますね(笑)

安田

おじさん達も昔は子供だったわけで、好奇心も旺盛だったはずですよね。

もちろん。

安田

成長とともに好奇心がなくなっていくのは、なぜですか?

まわりの期待ですよ。

安田

まわりの期待?

やっぱり子どもは親の期待に応えたいので。勉強ができて、いい学校、いい会社に入ってくれることを、親は期待しますから。

安田

いい会社員になってくれることが、親としてはうれしいと。

そういうことです。

安田

その期待に応えているうちに、自分のやりたいことが分からなくなってくる?

気がついた時には「あれ?なんやったっけ」みたいに忘れてしまう。

安田

それは「好奇心そのものがなくなってしまった」ということですか?それとも心のどこかにはあるんですか?

ありますよ。あるんですけど、記憶の彼方に忘れているので、それを呼び戻すところからスタートですね。

安田

どうやったら戻ってくるんですか?

記憶の彼方に「燃える炎の種」みたいなのがあるんですよ。それを探し出して火をつけるのが基本ですね。

安田

好奇心に火をつけるってことですか?

そうです。好奇心を思いっきり解放する時間をつくるわけです。

安田

好奇心に火がつくと「自分はこんなことが好きで、こんなことができるんだ」ってことがわかってくると。

そういうことですね。

安田

でも泉さんはひとりなので、日本全国に火つけて回るわけにもいかないですよね。

無理ですね。

安田

じゃあ「自分で着火するコツ」みたいなのを、教えてもらえませんか?

「ボケーっとしてる時」がいちばんチャンスなんですよね。「何かしなければならない」というマストの時は火がつかないので。

安田

マストの時は火がつかない?

はい。マストって「誰かの期待に応えなければならない」っていう状態なので。会社の要請とか、メシ食うためとか。

安田

じゃあオフの時ということですか?

たとえば、ボケーっと本屋に行って、ボケーっと歩いてると、ふと何か好奇心を刺激するタイトルが見つかったりします。

安田

ボケーっとすることが大事なんですね。

そう。マストで本を探さないこと。

安田

「売れる営業」とか「成功する投資」とか、ついつい目が行ってしまいますけど。

それは「売らないといけない」「稼がないといけない」というマストが入ってますね。

安田

難しいですね。

現代人はボケーっとするのが苦手なんですよ。

安田

スマホを見てる時とかどうなんですか?

何か検索するとか、知り合いの動向を見るとか、やっぱりマストが多いです。

安田

じゃあ、スマホも持たずに、ボケーっと本屋に行くと。

目的をもって行っちゃいけない。

安田

「稼げるようになりたい」とか、そういうのを思っちゃいけない?

そうです。ボケーっとするのがいちばんです。

安田

じゃあ、べつに本屋じゃなくても、町歩くとかでもいい?

ぜんぜんいいですよ。旅行とかも、ボケーっと旅行するのがいい。旅行計画なんか立てないで。

安田

1分単位で計画立てる人いるじゃないですか。あれは旅行がマストになっちゃってる?

そう。「どこどこを見る」とか「スケジュールをこなす」というマストになってしまっている。

安田

それではダメだと?

ボケーっと流れるままに「このままいったらどこに行くんやろう」という感じがいいです。

安田

かなり、行き当たりばったりですね。

それがいいんですよ。僕らは「行き当たりばっちり」と呼んでます。

安田

行き当たりばっちり?

マストを捨ててボケーっと歩いてるうちに、ばっちり当てはまる「自分の世界」が見つかる。それが行き当たりばっちり。

…次回へ続く…


場活師/泉一也と、境目研究家/安田佳生
変人同士の対談


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第1回:「変わるもの・変わらないもの」
長い間、時間をかけて構築された、感覚や価値観について問い直します。

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