泉一也の『日本人の取扱説明書』第53回「ドンキの国」
著者:泉一也
日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
ディスカウントストアの「ドンキホーテ」はお化け屋敷の風情がある。陳列棚の陰から妖怪が出てきそうではないか。そこかしこと出没するペンギンのキャラは妖怪にしかみえない。雑然とした、混沌とした売場に住む妖怪。ドンキは衣食住からコスプレに性の領域まで幅広く、本物の中にも偽物が紛れていそうな怪しさがプンプンする。この混沌さと怪しさが、イオンやイトーヨーカドーにはないドンキの魅力なのだ。
昭和の駄菓子屋では砂かけばばあのような女店主がいて、悪さしようものなら砂をかけてきそうな氣を発していた。まさにドンキと同じ匂いがした。イオンモールにも駄菓子屋があるが、妖怪はそこにはいない。表面的には駄菓子屋だが、ツルんとしていて怪しさがなく魅力は半減している。
混沌さと怪しさは、価値である。もちろん対極にある整理整頓とクリーンも価値だが、今はそちらに社会が偏っている。ということは、混沌さと怪しさを価値にすれば、ニッチでありブルーオーシャンになる。
TV局の王者であったフジテレビはここ7、8年右肩下がりである。なぜか。それは本社を移転させたからだ。新宿に本社があった時は「新宿ゴールデン街」という妖怪の住処に近く、その価値を吸収できた。タモリというお笑い妖怪もそこで発掘されたのだ。笑っていいともが最後までアルタに留まった理由が見えてくる。しかし、フジテレビがお台場に移ったことで、ツルんとした世界の中に埋もれ凋落が始まった。逆に日本テレビは麹町から妖怪がいそうな新橋にうつったことでぐんと伸びたのだ、という怪しい説を唱えたい。妖怪「ホリエモン」がフジテレビの買収に成功していたら、話は大きく変わっただろう。
混沌さと怪しさをドンキ的、ドンキっぽいと表現してみよう。ドンキっぽさは日本の底流に流れている。サブカルチャーのメッカ秋葉原からAKBが生まれたように。このドンキさを教育に取り入れたのが場活である。場活をしていると「ツボを売られるのでは?」と怪しまれることが多い。それは場活師に対しての褒め言葉であるが、そのうちバカ壺を売り出してやろう。
つまりドンキさを失わせていくと場活でなくなるのだが「混沌さと怪しさをなくしたらいいよ」とアドバイスをしてくれる人が多い。ドンキにイオンのごとくツルんとなれよといっているのと同じである。フジテレビの後は追いたくないので、厚意はありがたく頂戴するが、聞き流すことにしている。
日本の底流に流れるドンキさを価値にするにはどうしたらいいか。混沌さと怪しさを文化にまで磨くことである。怖いけど面白い、怖いけど見てみたい、この逆説的な価値に氣づくことである。怖いけど面白いのはなぜか、怖いけどみてみたいのはなぜか。それは、怖さとは想像力を働かせ、進化につなげる原動力である。生物は怖いという感情でもって、危険と敵を想像し、そこから体の形を変え、機能を増やし、知恵を生み出すといった進化を果たした。ものすごい価値である。その価値にまで、ドンキさを極めていけばいいのである。
あなたのビジネスを混沌とさせます。あなたのビジネスを怪しくします。そういったドンキ・コンサルタントという妖怪的な職種が現れるはずである。既に現れたドンキ・コンサルタントのお陰で、私はこのコラムを書いていることを最後に言っておきたい。
泉 一也
(株)場活堂 代表取締役。
1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。
「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。