泉一也の『日本人の取扱説明書』第97回「神も仏もない国」
著者:泉一也
日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
日本に仏教が伝来したのはいつだったか。
「仏教伝来、ご参拝(538)にいく欽明天皇」
「仏教伝来、誤算は(538)豪族の対立」
そう、538年、飛鳥時代。天皇とは神道であるのに、仏教を取り入れるとはどういうことなのか、不思議に思っただろう。ローマ教皇がイスラム教を取り入れるなど想像できない。
何か裏があるだろう。ここに歴史探索の面白さがあるが、年号の暗記教育では苦しさしか残ってないだろう。では、おもしろ探索を続けてみよう。
国の統治を見る一つの視点が「権力」である。権力とは経済力と武力である。米国が今、世界で最も権力を持っているのは、経済力と武力が最も強いからである。
では飛鳥時代の権力を握っていたのは誰か?経済力と武力のトップ2がいた。それは豪族の蘇我氏と物部氏である。
蘇我氏はグローバル経済主義で、中国と交易を盛んにしようと世界に視野を持っていた。逆に、物部氏は伝統を重んじる内向きの豪族であった。両者は価値観が違うので真っ向対立する。
蘇我氏は日本に仏教を持ち込めば、中国との交易がさかんになり、その仕事を牛耳ることもできると商人魂が燃えた。そこで邪魔になるのが、神道と物部氏である。
もう一つ国の統治を見る視点は「権威」である。誰が尊敬されているのか、畏敬の念を何に感じるのか。蘇我氏にないのは権威である。権威は天皇家を中心にした皇族が持っている。豪族が皇族に権威では太刀打ちできない。
「そうだ!天皇が自ら仏教を取り入れてくれたら!」と蘇我氏が思いつくのは必定。目の上のたんこぶは、物部氏。神道派の物部氏は仏教を断固反対する。彼らを滅ぼさねばと考えた。
ちょうどその頃、日本に疫病が流行りだした。(おそらく蘇我氏の貿易で中国から持ち込んだもの)さらにその頃、物部氏は神道を守るため、邪教に見えた仏教を排斥しようと、仏像・仏具を焼き払っていた。ちなみに日本人は、先祖を大切にする精神を持っており、仏像に先祖を重ねて家に置き始め、仏像が広まり始めていた。
あくまで推測だが、蘇我氏は噂を広めた。「疫病が流行ったのは、仏様のバチがあたったんだ。物部氏のせいだ。やつらが仏像を焼いたからだ。彼らが疫病の元凶だ」。庶民は、正体のわからない疫病は、祟りか天罰だと信じるので、怒り悲しみの矛先を物部氏に向けた。
庶民に心を寄せる天皇は、その怒り悲しみを全身でうけた。蘇我氏の後ろ盾になられたのだろう。明治維新と同じである。錦の御旗を担いだ蘇我氏は、物部氏を滅ぼした。
その後、天皇がおふれをだし日本中に国分寺と国分尼寺を建立する。もちろん蘇我氏はボロ儲け。さらに権力を手にすることになる。時はたち、「仏法僧を敬いなさい」と憲法でうたった皇族寄りの聖徳太子が亡くなってより権力を手にした子孫「蘇我入鹿」の運命はみなさんが知るとおり。
この歴史を見てわかるだろう、神も仏もないのだ。あるのは人間の心だけである。権力を欲し、権威にすがる。その心が神や仏を生み出し、利用する輩にいいようにされる。
権力も権威も外の力であり、その力に依存しないために神や仏を内に持つという教えであるはずなのに、逆転現象が起こる。日本の八百万の神はええ加減な人間臭い存在であり、お釈迦様も王族の権力を捨て、権威を持たないように組織をつくらず、仏像も作らず、聖典も書かず、ツボも売らなかった。
日本だけでなく世界史を見ると、疫病が流行った後は、統治体制が代わり人々の心のあり様も変わっていく。過去の歴史では革命が起こり、新しい宗教が広まるのだが、新型コロナの流行った後は、さてどうなるのだろうか。おもしろ探索は続く。
泉 一也
(株)場活堂 代表取締役。
1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。
「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。