泉一也の『日本人の取扱説明書』第148回「米の国」
著者:泉一也
日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
米はうまい。
しかし、糖質制限ダイエットをすれば、米は敵。日本酒も敵。鬼畜米酒。米と日本酒を神に奉納してきた日本人が、米を敵としたらどうなるか。
炭水化物の摂取が過度に減ると、骨の元となるたんぱく質ができにくくなって骨粗鬆症となり、骨が弱くなる。
そして、ダイエットが終わった途端、急激なリバウンドが起こる。異常なまでに米を欲し、過度に食べる。そして、ダイエット前よりも太り、さらに骨は脆く、健康度が下がってしまう結果に。
「氣」という漢字を「気」に変えたように、米を×としたことで、本来あった氣が弱まってしまったのだ。
米の歴史を見てみよう。日本の九州に米が渡ってきたのは2千年〜3千年前。そこから日本全国に広がる。米の栽培は水の管理が重要。定住、組織化が進み、田んぼを中心とした村ができる。
収穫量を増やすために開墾しては田んぼを広げ、大量生産もできるようになった。さらに保存が効く米は「富」となって蓄積され、貧富の差を生み出す。縄文と弥生の違いは「米」から生まれた。
そして富は、民を守り支配する権力となって大和王朝が誕生。645年の大化改新によって「天皇」を中心とした社会が完成する。今も残る天皇が即位したときの新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)。稲の収穫を祝う祭祀であるが、初穂を神に供え一緒に食べることにより、天から稲がもたらされたという神話を体現する儀式である。お供物は米に日本酒に餅である。
経済は米が中心となり、国という組織を維持するための税金として民から年貢を取り立てることになる。律令制を敷き、班田収授法や三世一身法で収穫米と田んぼの管理が始まる。そのうち、田んぼを開墾しても、子孫には受け継がれず、最後は国に取り上げられることになるので、民はヤル氣を失い、収穫量が増えなくなる。比例して税金が増えないので、権力を維持・発展させたい国は対策をうつ。それが墾田永年私財法である。この法がきっかけで、荘園が増えて豪族(後の戦国時代の武将)が生まれた。
これは、共産主義という共有財産制では国が発展しなくなったので、私有財産制の自由経済・資本主義に変わったのと同じ。歴史は繰り返される。
日本の歴史に戻ると、天下統一を果たした戦国武将の豊臣秀吉は、税(年貢)の正確な取り立てを行うために、太閣検地を行った。税務署を各地に作って、国民に確定申告をさせるように。徳川家康も秀吉の統治を引継ぎ、自治は各藩の大名に任せるが、石高として生産量を数値化し、税を管理・徴収した。
米を中心とした経済は、「食」を中心とした経済といってもいい。しかし経済は、自然から与えられし糧である米から、人工物のカネに変わった。1873年(明治6年)に行われた租税改革である。ここで一気に経済の質が変わった。カネは食べることができない人間が作りし人工物。その人工物が中心の経済となったことで、モノが豊富な、いやモノだらけの「モノ」中心の近代文明へと変わった。
さらに権力が強大化されたことで、奪い合いと争いが加速され、世界規模の大戦を2度経験する。第1次大戦では1000万人の兵士がモノのごとく扱われて死んでいったが、それまでの過去100年間の戦争における兵士の死者を超えていた。そして第2次大戦では、軍人と民間人合わせて5000万から8000万人の命が犠牲になっている。
さらに1971年に金本位制をやめたことで、このカネという人工物は無限に作り出せるようになる。そしてカネ経済はますます無限の成長を目指すようになった。米も金も有限なのに、カネは無限である。モノが豊かになったように見えるが、世界を上げてSDGsがあるように、見えないところで貧困や差別、気候変動による天災といった悪化が進んでいる。
150年前に日本は米からカネ中心の経済にシフトし、そのカネ経済の中心である米国を鬼畜と叫んで戦争をした。結果、叩きのめされてボロボロになったにも関わらず、その米国に憧れ、米国に守られながらカネを増やした。そしてカネ経済で世界を席巻する。
しかしバブルがはじけて元気を失い、2013年から量的緩和といって日銀がカネをばらまき続けている。しかし、経済は成長せず。バブル以降、怠けていたからでは無い。カネがあっても成長しないのは、自然の恵みである「米」を中心とした経済を2千年以上かけて育んできたからだ。その土壌にカネという種は芽を出さない。芽が出てもただの泡銭。
天皇は新嘗祭で「カネ」をご奉納されない。この聖なる儀式が今なお伝承されている理由。それは、米の経済が本来の姿だと子孫に思い出してもらうためである。
泉 一也
(株)場活堂 代表取締役。
1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。
「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。