信じるもの

この国の優秀な大学生たちは、
卒業が近づくと一斉にナビに登録し、
一斉にリクルートスーツを着て、
一斉に就職活動を開始し、
大企業への就職を目指す。

海外資本に買われても、上場廃止になっても、
リストラの嵐が吹き荒れても、
彼らの大企業への信頼は揺るがない。
私にはそれが不思議でならない。
彼らは一体、何を信じているのだろうか。

親のアドバイスを信じているのか。
社会の常識を信じているのか。
あるいは、大企業の底力を信じているのだろうか。
確かに過去数十年の日本社会において、
大企業に就職することは人生の安泰と直結していた。

終身雇用によって経済的な安定が約束され、
金融機関を始めとする社会的身分も保障され、
結婚相手としての価値も申し分なかった。
だがその状況は、明らかに変化しつつある。
業績が悪くなればリストラは当たり前。
それどころか、会社そのものが無くなることすらあるのだ。

この、恐ろしく変化の速い時代において、
何十年も先の未来を約束することなど、不可能なのである。
優秀な頭脳を持った人材なら、
その程度のことを予測出来ないはずがない。
にもかかわらず、
なぜ彼らは大企業への就職を、目指し続けるのだろうか。

まず、消去法という答えが考えられる。
大企業ですら危ないのだから、中小企業はもっと危ない、
というものだ。
確かにその通りである。
中小企業の倒産件数は、大企業の比ではない。
その上、報酬や休暇などの条件まで悪いとなれば、
大企業を選ぶのは当然の結果だ。

だがそれは、選択肢が他になかった場合の話である。
沈むかもしれない船と、いかにも沈みそうな船。
その二つしか選択肢がなければ、
少しでも安全な方を選ぶほかない。
だが本当に、選択肢はないのだろうか。
船に乗らないという選択。
あるいは自分で船を造るという選択。
それは不可能な事なのだろうか。

社会という海で、絶対に溺れない方法。
それはひとつしか無い。
自分の力で浮かべるようになることだ。
自分で船を造り、沈みそうになったら自分の手で修理する。
自分だけの浮き輪を作る。
泳ぎの技術をマスターする。

つまり、自分の安全を他人の手に委ねないことである。
就職した会社がどうなろうとも、
社会で必要とされ、生きていけるスキルを身につけること。
それが出来れば人生は安泰だ。
つまり、選ぶべきは、大企業ではなく、中小企業でもなく、
生きていくスキルが身に付く仕事。

では、どんなスキルを付ければ生きていけるのか。
それは自分の頭で考えるしかない。
なぜなら、必要とされるスキルもまた、
変化し続けるからである。
自分の頭で考え、人から必要とされるスキルを身に付け、
そのスキルを磨き続けること。

とてつもなく大変なことのように感じるかもしれない。
だが元々人間は、そうやって生きてきたのである。
死ぬまでの人生が、
たった一度の就職活動で保障されていた時代こそ、
異常な時代だったのだ。
決して信じたくない目の前の現実。
それこそが、真に信じるべきものなのである。


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