企業の存在目的は、利益を生み出すことである。
どんなに崇高なビジョンを掲げていても、
利益が出ない会社に銀行は金を貸さない。
資本家も投資をしない。
これは企業というシステムの構造上、
避けては通れない事実なのである。
私はそれを、酷いことだとは思わないし、
金の亡者だと批判するつもりもない。
企業とは、そもそも、そういうものなのである。
そして企業が存在することによって、
私たちは多くの恩恵を受けてきた。
個人では出来ない大きなビジネスを展開し、
テクノロジーの発展に寄与し、
たくさんの雇用も生み出してきた。
私たちの社会において、
企業は無くてはならない存在であったし、
これからもそういう存在であり続けるだろう。
だがここに来てひとつ、大きな問題が起こりつつある。
それは、利益を生み出さなくてはならないという、
存在目的ゆえに起きる問題。
私たちの生活に直結する、雇用問題である。
利益を生み出すという目的がある以上、
企業は利益に結びつかない雇用はしない。
雇用は企業の存在目的ではなく、
利益を生み出すための手段なのである。
これまで企業が雇用を生み出して来られたのは、
雇用することが利益に繋がっていたからだ。
だがここに来て、その事情は大きく変化した。
テクノロジーの発達によって、
雇用が利益に結びつかなくなったのである。
人間には、多くの人件費がかかり、
育成に手間がかかり、解雇に社会問題が絡む。
AIやロボットに置き換えた方が、
手間がかからないし、はるかに儲かる。
そう判断したのなら、企業にはそうしない理由はない。
つまり、雇用は激減する可能性が高いということだ。
もし、そうなった場合(既にそうなりつつあるのだが)、
私たちはどうやって生きていけばいいのか。
当たり前の話なのだが、雇用されずに生きていくしかない。
だがそれは、簡単なことではない。
雇用がなくなったら、生きていけない。
それは「仕事=雇用」という図式が出来上がっているからだ。
だが冷静に考えれば、雇用が減ったところで、
仕事が減らないことは明確だ。
仕事とは、人の役に立って、対価を受け取る行為である。
人の役に立てることなど無限にあるのだ。
つまり、雇用されなくても仕事はいくらでもあるし、
そもそも人はそうやって働いてきたのである。
だが、ここで私たちは、大きな問題に直面する。
それは、あまりのも長く、雇用され続けたことによる弊害。
すなわち、雇用されない働き方を、
多くの人が忘れてしまったことである。
企業と雇用契約を結び、指定されたところに出勤し、
指示された作業をこなす。
すると翌月に、指定された口座に給料が振り込まれる。
何代にも渡ってこの働き方を続けた結果、
働くこと=雇用されること、
という価値観が完全に定着してしまったのである。
雇用が減るのは企業の責任ではないし、国家の責任でもない。
それは単なる社会現象なのである。
問題は雇用が減ることではない。
本当の問題は、雇われない生き方を、
忘れてしまったことなのである。
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