人間はすぐに食べ過ぎる。
食べ過ぎてどんどん肥満になって行く。
肥満にならない人は自分を律することが出来る人。
理性によって本能を抑え込むことが出来る人。
そういうイメージを私たちは持っている。
だが冷静に考えてみればとても不可解である。
なぜなら、動物は人間のように肥満にはならないから。
必要な分だけ食べ、それ以上には食べない。
食べ過ぎることも無ければ、肥満になることもない。
だがそれは理性による行動ではない。
動物は単に本能に従って行動しているだけだ。
つまり本能は、必要な分だけ食べさせること、
必要以上には食べさせないことを、
推奨しているのである。
本能むき出しの動物は、食べ過ぎることも無ければ、
意味なく殺しあうこともしない。
理性によって自分を律している(本能を制御している)
人間は、ちょっと油断すると食べ過ぎてしまう。
無駄な食事をし、無駄な買い物をし、無駄な旅行をする。
動物は、無駄な食事も、無駄な買い物も、
無駄な旅行もしない。
この言い訳しようのない事実を、
私たち人間はきちんと認めるべきだろう。
人は理性によって、とんでもなく無駄で、
とんでもなく無意味で、とんでもなく損なことを、
自分に強いているのである。
人を過食に追いやるのも、無駄を美化するのも、
殺し合いを正当化するのも、本能ではなく理性なのだ。
本能は決してそのような愚かな行動を許さない。
理性的な人間、理性的な振る舞い、理性的な判断。
それが正しいと信じ込んでいることが、
不幸の始まりなのである。
では本能の赴くままに生きるのか。
いや、もはや人間にはそのような生き方は出来ない。
純粋なる本能の声が、もはや人間には届かないから。
本能に委ねることを、私たちは自ら拒絶したのである。
自分で正悪を判断し、自分で自分を律し、
自分たちのルールで生きて行く。
それが人間という存在なのだ。
今更否定したところで仕方がない。
重要なのは、その現実をきちんと受け止めて
生きて行くこと。
本能は決して間違えない。
辛うじて残された本能の声に、きちんと耳を傾けること。
理性という人間が作った判断基準を、
決して鵜呑みにはしないこと。
人は理性によって、
人にしか出来ない価値を生み出している。
だがその反面、理性によって、
人にしか出来ない愚かさも生み出している。
いま下そうとしている理性的な判断は本当に正しいのか。
本能に問いかけてみたい。
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