胃が空っぽになった時の空腹感。
空腹を感じれば、
多くの人は何かを食べたくなる。
そして実際に何かを食べる。
だがこれは自然な行動ではない。
なぜなら肥満に悩む人間も
空腹感を覚えるからだ。
空腹感は食を促す本能の合図ではない。
むしろその反対だ。
空腹感を満たすために食べ続けていると、
胃袋はどんどん膨らんで大きくなっていく。
膨らんだ胃に少しでも隙間ができると、
また空腹感がやってくる。
隙間を埋めるために食べ続け、
過剰な摂取によって体は肥満化し、
不健康になっていく。
本能は決してこのように不健康な
行動を促したりはしない。
過剰な摂取を促しているのは脳だ。
脳みそは人間を人間たらしめている本質であるが、
同時に、非常に危険な存在でもある。
脳みその命令と身体の合図。
これを見分けることがとても重要だ。
本当に食べねばならない時、
身体を維持するために養分を摂取せねばならない時、
人は飢餓感を覚える。
腹が減ったとか、空腹になったとか、
そういう感覚を超越したもの。
それは身体が発する合図である。
食え、という合図。
それは死の危険を回避するための正常な信号。
一方、脳みそが発する命令は、
時に自らの命を危険にさらす。
必要以上に摂取し、必要以上に溜め込ませる。
それは安定して食料を確保出来なかった頃の、
記憶の名残と言われている。
計算機としての脳みそを活用し、
冷静な判断を下せるならば、
今の時代に過食が意味をもたらさないことは
誰にでも分かる。
だがその冷静な判断は、
脳みその命令に勝てない。
脳みそは身体の一部であるが、
いかに優秀でも一部にすぎない。
脳に頼らず、脳を信じすぎず、
身体全体の合図に耳を傾けることが重要だ。
この食べ物を、本当に身体は欲しているのか。
身体に問いかければ自ずと正しい答えは返ってくる。
間違った脳みその命令に対抗できるのは、
冷静な脳みその判断ではない。
身体全体が導き出す答え。
それだけが脳みそを超えることができる。
両腕、両足、内臓、そこに神経を集中させる。
聴覚や嗅覚などのセンサーを鋭敏にし、
対象物を分析する。
食料だけではない。
衣服、家具、家電、車、金、便利さ、豊かさ。
本当に必要なものは何なのか。
必要を超えて過剰に欲しているものは何なのか。
その境目を自分自身に問う。
脳みそではなく、身体に問うのだ。
人生を劣化させているのは不足ではない。
過剰こそが劣化の本質なのである。
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