走りながら考えろ、という言葉の意味を
取り違えている人は多い。
手を止めるな。動き続けろ。
考えるのは走りながらでいい。
もしもそのような意味で使っている
指導者がいるとしたら、
指導される側はただただ不幸である。
やってみれば分かるが、
人間は走りながら考えることはできない。
当たり前の話なのだが、この理屈を
理解できない指導者がいるから驚きである。
じゃあ実際に石の上に三年座った人間がいるのか?
と問うてみたい。
アホじゃないのだから。
言葉のあやだということを理解しようよ、と言いたい。
走っているときでさえ、決して思考を止めるな。
それがこの言葉に込められたメッセージである。
つまり行動を止めないことが主なのではなく、
思考を止めないことが主なのだ。
では実際に思考するにはどうしたらいいのか。
当然のことながら立ち止まるしかない。
いやいや、立ち止まったら
「走りながら考えること」が出来ないじゃないか。
そう反論する指導者からは今すぐ離れたほうがいい。
その人間は完全に思考が停止してしまっている。
行動を止めるのは確かに勇気が要る。
止まれば抜かれる。置いて行かれる。
ますます遅れてしまう。
その焦りが私たちから立ち止まる勇気を奪っていく。
だが本当に怖いのは行動が止まることではない。
最も恐ろしいのは思考が停止してしまうことだ。
思考が止まったまま、
ただただ同じ行動を繰り返してしまう。
これこそが最悪の状態なのである。
止めたくても止められないもの。
それは行動ではなく時間だ。
人は人生を走り続けている。
走りながら考えろとは、決して
思考することを止めるなという意味である。
どんなに忙しくても、どんなに不安があっても、
立ち止まって考えることを怠ってはならない。
つまり示唆しているのは止まることなのだ。
行動を停止することは人生を停止することではない。
行動を停止することは思考を開始することだ。
つまり人生をより前に進めることなのである。
地震や津波や疫病のような大きな天災が起こる時、
人は立ち止まることを強要される。
それは立ち止まることを忘れてしまった
人間へのメッセージなのだと思う。
何の疑問もなく毎日続けていること。
それは本当にやるべきことなのか。
やりたいことなのか。
人生を前進させることなのか。
それをじっくり考えてみろというメッセージ。
行動が停止したとき人は思考を開始する。
そして思考した人間は必ず変化していく
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1件のコメントがあります
はっとするコラム、いつもありがとうございます。
思考停止になるとお仕舞いだと感じました。