泉一也の『日本人の取扱説明書』第78回「福の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第78回「福の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

正月にすごく売れる福袋。寒空の下、長蛇の列ができる。誰しも一度は買ったことがあるだろう。福袋を英語にするとラッキーバッグ(幸袋)となりそうだが、なんとなく福袋と違う。この違和感をたどってみよう。

幸は海の幸、山の幸というように喜びをもたらす恵みを表す。福は幸とは似ているようで一風違った意味合いがありそうだ。

福袋で連想されるのが七福神である。宝船に乗る神様が背中にしょってる袋のイメージ。ここで福と神の言葉のつくりをたどってみると、両方とも「示偏(しめすへん)」である。この示偏は何を意味するのか。足が3つある台のような形をしている。そう、これは神への供え物を置く台である。福のつくり側は、一と口と田んぼ。田んぼから口にはいる平らな盃である。これは全体で酒の器を表現している。

神に供えるお酒。これが福である。幸は喜びをもたらす恵みに対して、福とは感謝や喜びを神に伝えることである。幸せはもらうもの、福はいただいたものを加工して与えること。つまり福袋は、付加価値をつけて喜びを与える袋ということ。

いつもお世話になっているお店が1年間の在庫を処分したい。そして新年、新しい商品を仕入れたい。客としてその流れを手伝う(これが付加価値)のが福袋なのだ。だから何が入っていても関係ない。福袋に当たり外れはない。もし欲しいものが入ってなかったら、誰かにプレゼントすればいい。そうしたら自分が福の神になれる。

これで福袋がラッキーバッグでないことがわかっただろう。七幸神はおらず七福神しか日本にはいない理由もわかっただろう。

 

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