「ハッテンボールを、投げる。」vol.22 執筆/伊藤英紀
後発の優位性という考えがあります。
私がこの考えを初めて知ったのは、
経済活動において、です。
後発は、先発が試行錯誤しながら発見し、
体系化した産業や技術の知恵を、
スピーディーに学べるから
有利だ、という考えです。
日本の発展は、ここにありました。
経済のみならず、
思想や芸術・学問においても、
古代ギリシャの文化・文明から、
後発の北方ヨーロッパ諸国が学びとり、
アメリカ合衆国がその末弟としてそこにひもづき、
日本はさらにその後列にならびながら、
明治の開国以降さまざまな知恵を
吸収していったのだと理解しています。
もちろん中国の影響も大きく、
江戸期以前は漢文を読み書きできる力が
日本知識人の証。
そんな中で、やまと言葉や文化も
発展してきたという歩みでは
ないんですかね?
近代国家制度や経済においては、
ここ150年のことですから、
よりわかりやすく、
イギリスの産業革命や
フランスの国民国家制度から
後発のドイツが学び、
極東の日本はそのドイツを
お手本として近代日本をつくりあげた。
そんな概要理解は、
高校のときに学ぶことだと思います。
私は底辺のバカ学生だったので、
ちゃんと理解できていませんでしたが、
まともな高校生なら
知っているはずですよね。
そのようにして日本は、
後発の優位性を生かして
めざましい発展を遂げた。
産業や国家制度において、
アジア先進国になったのでした。
後発であることを自覚し、
学びながら考え、を繰り返すことで、
日本はなんとか成熟と発展を
手に入れてきたのではないですか。
誰もが知っていることのはずなのに、
いまの日本は、
この「誰もが知っているはずのこと」を
手放してしまっているように、
私には見えます。
日本サイコー!
日本は美しい!
日本は世界でも比類ないぞ!
中国や韓国なんて後進国だ!
と叫ぶ昨今の戯言、
あれ、なんですか?
日本はバカになってしまったようです。
そもそも、
中国が日本に経済で遅れをとったのは、
長大な中華文明からみれば
ほんのいっときのことでしょ。
後発であることに、
劣等感を抱くことは、
それこそ劣等な意識です。
なぜなら、まねぶ=学ぶ、こと自体を
否定してしまうからです。
人類には、先発と後発が常にあり、
誰かから学ぶことが人類史そのものだからです。
割り切れる答えを求める
科学技術は進歩するのでしょうが、
そのような答えのない思想や文化は、
進歩ではなく、さらなる成熟を
志向しつづけるだけだと思います。
成熟に到達点はなく、
学びに終わりはありません。
工業技術がある時点で
世界のトップクラスになったくらいで、
日本は愚かにも
舞い上がってしまったのでしょうか。
みっともない成金のように。
そのせいなのか、その工業技術も
いまではパッとしないわけですが。
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