「ハッテンボールを、投げる。」vol.55 執筆/伊藤英紀
ダメだ。書くことが思いつかない!苦し紛れに、思い出ばなしでお茶を濁すことにしました。55回目だもん、こういうこともある。許してやろうじゃありませんか。
1980年代初頭。大学生の私は、東京大田区の3万5000円(だったと思う)の風呂なしモルタルのボロアパートに住んでいました。
風呂付きがうらやましくないこともなかったけど、プラス3万円の大枚を払って白いコーポラスに住むより(金がなくて住めないのだが)、家賃を少しでもウカせて映画を見たり、レコードや本を買ったりするほうが、ハッピーだよなと思っていました。
バイトもけっこうやったけど、月末はだいたい金欠になった。が、恋人やそのお母さんが手料理をごちそうしてくれたので、ずいぶん助けられたし、うれしかった。
彼女が買った15万円の中古のカローラハッチバックでのドライブもたのしかったなあ。ぜんぜん走らないポンコツだったけど(自分のクルマじゃないのにひどいな)、隣には好きな娘がいるし、手動でおろした窓から吹きつける風は爽快でした。
日給のコピーライターとして働きだしてからも、同じ風呂なしアパートに住み続けた。給料は手取りで20万円ちょっとあったけど、増えた所得をこぎれいなワンルームにあてるより、ふんぱつして外食したり、大衆居酒屋で青臭い仕事談義をしたり、がんばっていいバーに行ってウイスキーを飲んでいる方がたのしかった。
友人の中には外資系企業に就職して青山のマンションに住んでいるやつもいたけど、あいつはあいつ、俺は俺、でした。
でも思い出してみると、名のある会社に就職してシャレた部屋に住んでいる同年齢と、古ぼけたアパートに住んでいる非正社員の自分を比べなかったわけではない。
むしろしっかりと比べていたかなあ。比べたうえで、羨望や劣等意識を持つことはない、と頭で判断していたよう気がする。
部屋や立場の落差はマイナス6だけど、恋人や彼女の母親とたのしく過ごす幸福はプラス3。ネクタイして会社員やるのは私にはきつかったので、駆け出しだし日給だけどプロの専門職をめざす入り口につけたことはプラス1。会社に侵食されずに、映画とか本とか好きな世界を持つことができている満足がプラス1。まあ、トントンだなあ、と。こんなふうに数字で計算していたわけではないですけどね。
自分の今の暮らしの充実度という収支を、自分なりの尺度を持って差し引きして測っていたんでしょうねきっと。だから、パッとしない自分だったけど、卑下することはあまりなかった。