泉一也の『日本人の取扱説明書』第75回「外向きの国」
著者:泉一也
日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
日宋貿易といえば平清盛。神戸の福原に遷都を計画したのは、京の都には港がないからだ。日本を貿易主体の海洋国家として設計した平清盛は先見の明があった。明治の開国後の発展、戦後の貿易による成長、世界屈指となった神戸港を見ればわかるだろう。
日本の地形的な風土を見れば、何を活かせば豊かさを得られるかすぐにわかる。川が多く、海に囲まれているのでその川と海の力を活かせばいい。漁業はもとより「海運事業」で豊かさを得られるのだ。海運は価値の流通を大量にそして頻繁にさせることができる。価値の流通は、経済の活性化、文化交流、人材交流を生み出す。その本質を清盛も信長も秀吉も知っていた。
一方、270年もの平和の世を築いた徳川幕府は、清盛や信長とは真逆の鎖国政策をとった。なぜか?西洋諸国の武力的脅威から国を守ったわけではない。戦国の世を経て世界屈指の軍事力を持っていた日本、そしてオランダ(ネーデルランド)のみ出島で貿易を許したことからそれがわかる。そう、カトリックの布教による精神的な支配を恐れたのだ。(ネーデルランドはプロテスタントの国である)
平和な鎖国時代はいいことばかりではない。内向きで狭い世界にい続けると、波風を立てないようにと周りとの調和に意識が向く。調和を図る内向きの論理を作り、その論理に縛られる。この内なる論理を逸脱する「出る杭」は嫉妬心を集め、いじめ的な制裁が課せられる。そして縛りの苦しさは「我慢せよ」との一言で片付けられる。我慢とは美徳ではない。言葉からもわかるように、我の慢心である。
そして270年たまりにたまっていた鬱憤がペリーの来航とともに暴発し、明治維新と世界進出のエネルギー源となった。幕末の混乱から太平洋戦争といった戦乱の時代を招いたのだ。