
今日は40代・工業デザイナーの方からご質問をいただいております。はじめまして。安田先生の死生観あふれる哲学的な話題が好きで、毎週楽しみに拝聴しています。さて、早速質問です。「がまん」と「辛抱」の境目は何だと考えられますか?辞書やネット等で調べると、大枠どちらも一時的に自分の意思に反した行動ではあるが、「がまんはネガティブ」「辛抱はポジティブ」という説明が多かったように思います。どういうわけか、これらの説明に納得がいかず、人生に深みを与えるはずのこの重要な単語の裏側には、もっと上質な境目があるのではないかと、なぜか思ってしまいました。単にポジティブとネガティブというような二元論で語られてよいものか。仮に四次元的に考えると、がまんした結果、後発的にポジティブに転じたのなら、それは「しんぼう」という言葉に変わってしまうのか。単に動機時点の問題で使い分けているとするならば、極めて一次元的で広がりも深みも奥行きもないように思えてなりません。原理主義的で面倒くさい質問だと承知していますが、物事の真理を追究し、数々のがまんと辛抱を重ねてこられた安田先生であれば、何次元でも世界を広げた答えが返ってくるのではないかと思い、こんな質問をしてみました。ゆる~く論じていただいて構いませんので、貴兄なりのご意見をお聞かせ願えれば幸いです。ということです。

(笑)。私も亜佑美ちゃんとニュアンスは似てると思ってて、「がまん」って人から言われることとか、あと、未来が見えない感じがしますけど、「辛抱」って、「いまは辛抱しよう」みたいな言い方をよくすると思うんですけど、「よいときのために、いまはちょっとつらい状況を選択する」みたいな。

でも、たしかに自発的かどうかっていうのはひとつありますね。たとえば自分がこの言葉を使うとしたら、学校に行くっていうのは僕にとって「がまん」でしたね。学校で決められた時間にそこに座り続けてなくちゃいけないとか、校長先生の話を聞かなくちゃいけないっていうのは、「辛抱」じゃなく「がまん」でしたね、僕は。だから、正直言って、この方が「数々のがまんと辛抱を重ねてきた」って書いていただいてますが、「安田先生であれば」って。僕、がまんしたのは高校を卒業するまでぐらいですかね。

行ってからがまんしたことないですし、そもそも、その前も、全力疾走も途中でやめて、授業でその席にその時間座ってるというがまんはしてましたけど、先生の話をいかにも聞いてそうで、ノートをしっかり取りながら一切聞いてないという技を編み出しましたので(笑)

よく勘違いする人いるんですけど、「石の上にも三年」っていうと「動いちゃいけない」みたいなふうに思う人がいるんですけど、たとえばそれって「3年間は動き続けろ」っていうことも「石の上にも三年」っていう意味じゃないですか。

本当に石の上に3年座らせようとする人とかがいて。「走りながら考える」みたいなのも、「走りながら考えろ」っていう意味じゃないと僕は思うんですよね。そうじゃなくて、「たとえ走ってるときでも思考を止めちゃいかんよ」っていう、つまり「思考を止めるな」っていう意味だと思うんですけど、でも、「足を止めるな」っていうふうに教える人が圧倒的に多くて。

つまり、動くことが主だっていうふうに思ってるんですよね。「がまん」ってそれと似たような、なんていうんですかねえ、うーん、本当の意味での期間の重要さをわかってない人が無理強いするものって感じがしますね、なんか。
*本ぺージは、2020年5月13日、ポッドキャスト「安田佳生のゲリラマーケティング」において配信された内容です。音声はこちらから
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