コロナとはいったい何だったのか。
社会が落ち着き始めたころ、
各所で議論が行われるようになるだろう。
大企業の社員から見たコロナ。
中小企業の経営者から見たコロナ。
就活生から見たコロナ。
ウイルスの専門家から見たコロナ。
置かれた立場でコロナの意味は大きく異なる。
コロナを是とする人もいれば非とする人もいる。
地球の意思だと捉える人。
中国の陰謀だと捉える人。
コロナの絶滅を叫ぶ人。
コロナとの共存を訴える人。
それは人によって様々だ。
ひとつだけ確かなこと。
それはコロナの前とコロナの後で
世界が似て非なるものになるということ。
コロナは人々の生活を確実に変化させる。
だがそれがどのような変化なのかは分からない。
コロナの解釈が人によって異なるからだ。
どう解釈したのかで生活は変わる。
たとえば“人との距離を保ち続けるべきだ”と考える人と
“つながりを取り戻すべきだ”と考える人。
リモートワークが心地よい人と、心地よくない人。
それぞれに違った変化が起きるだろう。
もしコロナに共通の意味を見出すとしたら、
それは一時停止ボタンとしての機能である。
コロナは一時的に人間の活動を止めた。
その結果起こったことは様々だ。
工場が停止したことで地球の空気がきれいになった。
出社が制限され多くの仕事がリモートワークになった。
管理職や本社ビルが不要かもしれないと気がついた。
オンライン授業が子供達に普及した。
学校がなかったら親がパニックになることがわかった。
最終的に国家は助けてくれないと国民が知ってしまった。
経済、人とのつながり、ありとあらゆる活動。
それが世界同時に数ヶ月間止まってしまう。
こんなことは史上初めての出来事である。
結果的に世界規模の大きな経済損失をもたらした。
それは事実である。
だがそれは枝葉にすぎないのかもしれない。
世界が一時停止したこと。
それによっていろんな事実に気がついてしまったこと。
それこそがコロナのもたらした最大の影響だったと、
気づく日がくるだろう。
知ってしまったこと。
分かってしまったこと。
考えてしまったこと。
体験してしまったこと。
それをなかったことにはできない。
理不尽なこと、納得がいかないこと、
やめたほうがいいこと。
そういうことを人はなぜかやり続けてしまう。
惰性や習慣によって
自分では止められなくなっているのだ。
その活動をコロナは強制的に止めてしまった。
もはや元には戻らない。
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1件のコメントがあります
コロナウイルス騒動でやむを得ず停止した行動は、普段の惰性や習慣行動も含めて、各々の立場で見直すよい機会になったのではないかと思います。特に移動の壁は、見直すよい機会になったと思います。