今週は!
言わずと知れた日本人メジャーリーガーのパイオニア、野茂英雄。
今年は野茂が初めてメジャー(MLB)のマウンドに立って25周年の節目。ということで、スポーツグラフィック誌『ナンバー』が
特集を組んでくれた。
ナンバーの歴代編集部員には、ノモマニアが多いのか、引退後も折に触れて野茂のことを取り上げ、近況を教えてくれるのでありがたい。今回の特集も全編読み応え十分で、なんと山中伸弥教授との対談まである。
iPS細胞とトルネード!
よく言われることであるが、野茂が大リーグにデビューした1995年は、日本にとって非常にエポックな年だった。1月に阪神淡路大震災があり、3月には地下鉄サリン事件が起こった。
当時の私は30代半ば、仕事と私生活の両面において踊り場にあり、どよんとした時期だったので、野茂選手の海の向こうでの活躍には胸のすくような想いがしたものだ。
野茂がMLBでプレイしていた約12年間、私の生活は完全に野茂登板日を中心に回っていた。正確な数字はわからないが、インターネットを含めて野茂が登板した全323試合のうち、8割方は観戦しているのではないだろうか。
物心ついてスポーツに興味を持つようになってから、たくさんの日本人アスリートの活躍に胸躍らせてきたが、私にとって心の底からシンパシーを感じるのは、いまだに野茂だけである。(ちなみに2番目のポジションを占めるのは、PGAプレイヤーの松山英樹である。二人ともマスコミの前では口が重いが、信念があって、根はめちゃめちゃいい奴というところが共通しているように思う)
以前、安田(佳生)さんたちと、ぼくら社という出版社をやっていたとき、野茂の本をつくりたいと思ったことがあった。
考えていた企画は、自伝のようなものではなく、野球や投球術に関することでもない。
ブログのタイトルに書かせてもらったように、野茂英雄による英会話や英語によるコミュニケーションについての本である。
なぜそんなことを思ったかというと、野茂という人、どう考えても英語が苦手のように思えたし、一向に上達しているようにも見えなかったからだ。
今回のナンバーのインタビューでも、渡米当時はイエスとノーくらいしかわからず、「英語も聞き取れるようになるまで何年もかかりましたし、喋るなんていまだにダメです」と笑いながら語っている。
そんな野茂がどのように英語と付き合い、周りとコミュニケーションをとっていたのか。そこを紐解いていくことで、目からうろこの英語本ができるのではないかと思ったのだ。
できなかった人が、できるようになる本は山ほどある。しかしながら、現実はそうならないことの方がずっと多い。
できない人が、できないままどう凌いで生きていくのか。
Know-howを蹴散らかす、No-howに興味があったのである。ページの向こうで、野茂は言う。
とにかく思い切り腕を振れ。