159通目/安田からの返信 「確かに!」
なるほど。言われてみればおっしゃる通りですね。自分が言っていることの矛盾って自分では分からないのでしょう。ある鍼灸師の先生が言ってました。人間は自分で痛みをつくり出すそうです。なんか調子が悪いぞ、膝が痛いぞ、肩が上がらないぞ、という時、本当に痛い場合と自分で痛みをつくっている場合がある。ちょっとした違和感に神経を尖らせてどんどん痛いところを探してしまう。そこに意識が集中してバランスを崩して悪くなかったところまで悪くなる。つまりは自己洗脳ですね。自分はもう歳だからそろそろ膝が痛くなるはずだ。自分は運が悪いから絶対にいい仕事は見つからないはずだ。こういう自己洗脳ってどうやったら解けるんでしょう。
前回158目/大野「きっとまだ学べる何かがある」
僕のは前者です。ただ安田さんがそこまでザラつくとしたら、それはそれできっとまだ学べる何かがあるのかもしれません。僕は丸と主張して、安田さんはそれは違う、俄然四角だと言う。でも角度を変えて眺めれば円柱なんてことはよくある。自身の使命を突き詰めた時、完全なるものとの共同作業をさせてもらっているという感覚にやがて必ず通ずる。完全なるものをここではなんて呼んでも構いませんが、宇宙の法則、自然の摂理、大いなるもの、神さま、お天道さま…。蛇足ですけど、安田さんのこうあるべきをやめるべきだという主張は結果的に遂行矛盾になっています。そして、洗脳という言葉を使われましたが、僕たちは自分で自分を洗脳しています。
ー大野より
前々回157通目/安田「その対象は誰ですか?」
畏敬の念ですか。正直、私はその言葉をよく知りません。使ったこともありません。ググってみると「はるかに自分とかけ離れている偉大な存在に対して使う言葉」と書かれていました。つまり神様とか宇宙とか原理原則ってことでしょうか。だとしたら“畏敬の念”というものは自ら感じるものであって、誰かが強要するものではないと思います。大野さんがこの言葉を使うとき、その対象は何なのでしょうか?それが自然の摂理のようなものならとても賛同できます。しかし会社などの組織やそのトップ、あるいはそのビジョンである場合、私は賛同しかねます。「共同作業者として完全と一体になれる」という言葉の意味がどうしてもしっくり来ません。
ー安田佳生より
交換日記をする二人
安田佳生(やすだ よしお) 1965年生まれ、大阪府出身。 2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち) 株式会社一番大切なこと 代表取締役 https://ichibantaisetsunakoto. com https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/