泉一也の『日本人の取扱説明書』第132回「自灯明の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第132回「自灯明の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

お釈迦さんの遺言「自灯明」。

自ら明かりとなって周りを照らす。師匠のお釈迦さんに「答え(灯)」を求めてしまう弟子に伝えた最期の教え。師匠の死は弟子にとって最大の学びとなった。これが仏教の究極の教えであろう。

その仏教の教えを国造りの基にしたのが日本である。日本最初の憲法である十七条の憲法(604年)には「仏法僧(三宝)を敬え」と書かれている。741年には全国に68箇所の国分寺を建立。さらに江戸時代には寺請制度といって全国民を寺の檀家になるよう義務付けて戸籍管理を行った。

次第に日本の原始宗教である神道は「神仏習合」といって、仏教とゆるーく融合していく。日本はこうして仏の教えが国の制度と日常生活に浸透していった。

しかし1868年、明治になって神道を国教化、1871年に寺請制度は撤廃、廃仏毀釈といって仏教は弾圧された。1872年には政府は仏教寺院に神道の普及を命じるまでに至る。1882年に軍人勅諭、1889年に明治憲法、1890年には教育勅語と、畳み掛けるように神格化された天皇を崇拝するよう国民を誘導し、国造りを行った。

なぜ1300年近く続いた国家仏教をやめて、明治政府は国家神道の道を歩み始めたのか。

それは、270年もの長きに渡った徳川幕府を根底から破壊し、新しい国へと一から創り直したかったからだろう。織田信長が天下統一するため比叡山を焼き討ちしたように、仏教はあまりにも国に浸透しすぎていて、新しい国造りには邪魔だったのだ。
敗戦と占領といった歴史が証明したように、神道は国教に向いてなかった。1946年には神格化された天皇は人間宣言を行うことになった。非日常の祭りから生まれた神道は、日常の国造りには向かない。神道は祭り事であり、政(まつりごと)に向かないのは、「天」というメタファーの世界だからである。

神道は、ハレとケという民俗学の言葉でいうと「ハレ」であり、表と裏でいうと「裏」である。神道はファンタジーの物語に溢れていて、天気も人も動物も食べ物もあらゆるものが神様キャラ化されている。日常的な教えはほとんどない。

ハレであり裏を日常にすると、それは虚構の世界になってしまう。虚構の世界は制限がなく、心の縛りをといて意識を変えることができるが、地に足がついてないのでそこに偏ってしまうと現実離れが始める。地下鉄にサリンが撒かれたように。

外にある偶像(アイドル)を灯とし、その灯に答えを求めて暴走が始まったのだ。非日常の祭りであればバランスがとれるのだが、それが日常の政になって暴走し、大失敗をした。この失敗から何を学べばいいのか。

仏教を国教に戻せばいいのでは?はフルッ!

「国教」というもの自体が古いのである。国は教えてくれない。世界中の民衆の知の集合体であるGoogle先生が存在する現代では、国という権力からの「教え」はもういらない。国の方がもう古臭いのだ。

現代は「自灯明」をしやすい時代になった。自分の心に火を灯して、周りを照らす。取り扱い説明書といいながら、132本全部読んでもコラムに「答え」が見つからない理由が分かっていただけただろう。

 

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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