193通目/安田からの返信 「結論は見えてきました」
すみません。ジョーカー観てないです。でも結論は何となく見えてきました。やはり私たちは根本的な考え方がズレているようです。もちろんズレていても問題はないし、ズレているからこそ、この対談を始めたわけですけど。ズレの根本は「ポジティブな生き方」「素敵な生き方」というキーワードにあるのではないでしょうか。大野さんは努力次第で人は何者にもなれると考えている。その方がポジティブだし素敵な人生だと思っている。私はなるべきものを大きく外れたものに人はなれないと考えている。その方がポジティブだし素敵な人生だと思っている。どちらも求めているものはポジティブで素敵な人生。だけどその定義が違う。ただそれだけ。
前回192通目/大野「主人公アーサーは、」
例え話としてはよく理解できます。右利きの場合、右手の親指と左手の親指では、働きぶりが違って見える。右の親指は左に比べて「よく働いて偉いな」というのは滑稽です。実は役割が異なっている。でも本当にそうでしょうか。まだ割り切れないのは、人間一人ひとりが、最初からその役割、レイヤーが決まっていることの根拠の部分。僕は、自分が何を引き受けるか?というベクトルと、もう一つ、周りがそれをどう拒否したか?あるいは許したか?のベクトルの両方が強く作用しているように思う。『ジョーカー』という映画はご覧になりましたか?あの主人公アーサーは、果たして一つのレイヤーの中の一つのキャラクターの現れに過ぎないでしょうか。
ー大野より
前々回191通目/安田「単体では見えてこない」
自分が親指であることを明確に知る術はないでしょう。あるのはただヒントのみ。大事なのは自分単体で考えず周りとの関係性の中で考えること。おや、隣にも似たようなヤツがいるぞ。隣のヤツは自分より背が高い。関節の数も多い。もしや自分は劣っているのか。いや待てよ。どうやら自分たちは手というものにくっついている。それは腕につながっていて、体につながっていて・・・というふうに自分の役割を悟っていく。誰かが教えるものではないし確実な答えを知る術もない。だけど間違いなく人にはそれぞれ役割がある。同じ親指でもひとつひとつ違う。それがキャラクター。レイヤーとは自分が置かれたステージ。親指にとっての手ですね。
ー安田佳生より
交換日記をする二人
安田佳生(やすだ よしお) 1965年生まれ、大阪府出身。 2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち) 株式会社一番大切なこと 代表取締役 https://ichibantaisetsunakoto. com https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/